その後、長い長い子育ての時間を経て(実は現在大学生の長女には密かにクイーンの曲に関わりのある名前を付けている)、私が再びロンドンの地に立つことができたのは、2016年9月のことだった。そのとき私は迷わずケンジントンにあるフレディの家を見に行った。フレディが最後を迎えた家だ。

「Love of my life」を捧げたという元恋人のメアリー・オースティンが今でも管理しているというスタジオ付きの家は、地下鉄の駅から10分ほど歩いた住宅街の中にあり、もちろん「豪邸」ではあるが想像していたよりもずっとシックなたたずまいだった。グリーンがかった高く長い壁には、世界中から訪れたのだろうと思われるファンのさまざまな言語での書き込みがたくさんあった。

フレディ・マーキュリーの自宅。亡くなった翌日から多くのファンがつめかけている 撮影/猪熊弘子
壁に書かれた愛の落書き 撮影/猪熊弘子

ベルばらや原辰徳が人気だったころ

初めてクイーンの曲を聴いたのは、今からちょうど40年前の1978年、中学1年生の時だった。
ちょうどその当時、私の周囲の女子の間では洋楽といえばベイ・シティ・ローラーズが超絶人気で、みんなタータンチェックのグッズや缶バッジを付けていた時代。ほかに『ベルばら』と、現・巨人軍監督の原辰徳氏が巨人入団前から大人気で、私の記憶の中では、ローラーズとオスカルと原選手がごちゃ混ぜになっているくらいだが、その中で鮮やかかつ不思議な印象を残していったのがクイーンだった。

放送委員として給食の時間に当番で校内放送の担当をしていたので、好きな曲をかけることができた。学校にあったLPレコードはクラシックがメインで、洋楽はビートルズのレット・イット・ビーやイエスタデイ、サイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋」といった教科書に載っているような曲がほとんどだったが、時には先輩たちが勝手に自分の好きなレコードを持ってきて曲をかけることもあった。そこで聴いたのがクイーンの「キラー・クイーン」だった。

指を鳴らす音からはじまり、メロディアスなピアノと印象的なボーカル、美しいコーラス、そこに重厚なギターの音が絡んでいく楽曲は、それまで一度も聴いたことがないとにかく不思議な印象で、いきなり心を引き付けられた。田舎の小さな中学校の木造平屋建ての古い校舎の真ん中あたりにあったちっぽけな放送室で、私は初めてクイーンに出会ったのだ。