世の常識を嗤い青春を祝福する。
多様な魅力の「足跡」を辿る

永井荷風Vol.2

vol.1はこちらをご覧ください。

 永井荷風の魅力は多様なものだが、そのなかでも旺盛な散歩者、都市観察者としての存在感は大きい。荷風の熱心な読者は、誰でも荷風のあまたある小説、随筆、そして日記『断腸亭日乗』などの記録をトレースし、その変遷を嘆いたり、あるいは思いがけず往時の俤を見いだして喜んだりしながら、と散人の足跡を辿る事が出来る。

 『すみだ川』冒頭、盂蘭盆に、今戸で常磐津の師匠をしている妹のお豊を訪ね損ねてしまった事を気に病んでいた、俳諧師の松風庵蘿月は、「若い時分したい放題身を持崩した道楽の名残」により、秋の到来を知って狼狽えて小梅瓦町の住処を出発した。

 小梅瓦町は、隅田川にかかる東武線の鉄橋が業平橋へと進む、枕橋と源森橋の中間あたりだったという(『わが荷風』野口冨士男)。吾妻橋を渡り、墨田区役所の前を通って向島に入り、牛嶋神社をかすめて小梅小学校の前を歩く。「土地のものでなければ行先の分からないほど迂回した小径が三囲稲荷の横手を巡って土手へと通じている」と荷風は記しているが、境内は拡張されていて、狐の傍らには、かつて池袋の三越の正門にあったライオンが置かれている。そう、三囲神社は、三井家が江戸に進出して以来、今日まで、その守護神として尊崇されているのだ。

『すみだ川』で見せた無垢な感傷

 「土手へと通じている」道から、当時は田畑を埋め立てた空地に、建ったばかりの貸長屋が拡がっていると荷風は書く。土手は、今はコンクリートできっちり整岸され、遊歩道が造られている。かつては沢山たっていた、ブルーシートの「0円ハウス」も、ほとんどない。

今戸神社 東京・台東区にあり、かつては今戸八幡と呼ばれた。招き猫の発祥の地とされる

 蘿月は、休み茶屋に入り冷や酒を一杯呑んだ後、「竹屋の渡船」で、川を横断することになっている。渡し船は、三囲神社の辺りから、今は赤い鉄門となっている山谷堀川口までを通っていたそうな。私は、少し戻って、言問橋をわたり、かつての今戸橋まで歩く。橋は大正四年に上梓された、『日和下駄』で、「木造の今戸橋は蚤くも変じて鉄の釣橋となり」と荷風は嘆いているが、今や吊り橋もない。

 今戸辺は「二、三軒今戸焼を売る店にわずかな特徴を見るばかり、何処の場末にもよくあるような低い人家つづきの横町である」と、荷風は記すが現在もまた、待乳山聖天をのぞけばコンビニや雑居ビルの並ぶ、見慣れた街路に過ぎない。そして、「天の川の澄渡った空に繁った木立を聳かしている」今戸八幡に至った。

 『すみだ川』の執筆時期よりは大分後になるけれど、名人六代目菊五郎の座付作家として昭和の演劇界を席巻した宇野信夫は、二十代を言問橋の上流、白鬚橋辺で過ごした。

 宇野の実家は橋場で染物屋を営んでいた。関東大震災にあい―白鬚橋から、御堂が全焼して裸になった観音様を見たという―、水が悪くなったというので、両親以下従業員一同が移った後、焼け残った家で婆やと二人で暮らしていたという。

 芝居に行ったり、常磐津で声を張り上げたりするぐらいしかやる事はなく、文章も戯曲もまったく進まない。

 通ってくるのは、どこにも行き場のない噺家くらいだった。「今の志ん生はそのころ甚語楼といって、本所の業平に住んでいた。彼の住む長屋には大きななめくじが出た。それは塩をかけても尻尾ではじき飛ばし、ある時は細君の踵に食いついたことがあったそうだ。/貧乏を苦にしない彼は、竹屋の渡しのあとにかかった言問橋を渡って、よく橋場の私のところへやって来た。今の今輔や可楽もまだ若かった。彼等は誘い合わせて、よくたずねてきた」(『返らぬ日日』)

 宇野は、彼らに儲けさせてやろうと、興行を企てた。志ん生が席をとってくれた。

 客は三人しか来なかった。そのうち、二人の老婆が帰り、もう一人の爺さんもモジモジしているかと思うと帰ってしまった。

 宇野はいたたまれなかったが、噺家たちは熱心に演じ続けた。その真剣さに拍たれるとともに、自分も彼等のようにひたむきに成らねばと決意する。

 帰路、興行主は馬肉をたかられた。

 『すみだ川』で荷風は、滅多に見せることのない、無垢な感傷を顕わにしている。小石川の豊かな質屋の跡取りに生れながら、放埒のため勘当されて、俳諧を生業とすることになった松風庵蘿月、その妹で、番頭を婿にして跡取りになったお豊は、御一新で身代と夫をなくし、娘時代に覚えた常磐津を教えて暮らしている。

 お豊は、一人息子の長吉が大学を出る事をよすがに生きているが、長吉は幼なじみの煎餅屋の娘、お糸が葭町から芸者に出ると聞いて勉強に手がつかない。

 長吉は学校に行かなくなり、芝居小屋で旧友に会って、役者になりたいという志を抱くようになる。役者になれば、芸者になったお糸と会えるかもしれないし、何より劇場の輝きに強く心惹かれているのだ。

 この辺り、学業を嫌い、役者に憧れる心理などは、若き荷風の心性を映している。

 蘿月は妹に頼まれて、亀戸龍眼寺での句会を口実にして長吉を誘いだし説教する。「とにかくもう一年辛抱しなさい。今の学校さえ卒業しちまえば・・・母親だって段々取る年だ、そう頑固ばかりもいやアしまいから」

 味方になってくれるとばかり思っていた伯父の言葉に、長吉は愕然とする。「人間というものは年を取ると、若い時分に経験した若いものしか知らない煩悶不安をばけろりと忘れてしまって、次の時代に生れて来る若いものの身の上を極めて無頓着に訓戒批評する事のできる便利な性質を持っているものだ」

 雨が降り続いた春の末、長吉は千束の出水を見物に行って腸チフスに罹ってしまう。担架で病院に運ばれた長吉をお豊は半狂乱になって追う。留守番を頼まれた蘿月は、一人、所在なくしているうち、長吉の本からお糸の写真をみつけだし、無責任な説教を後悔しはじめる。

「蘿月は色の白い眼のぱっちりした面長の長吉と、円顔の口元に愛嬌のある眼尻の上ったお糸との、若い美しい二人の姿をば、人情本の作者が口絵の意匠でも考えるように、幾度か並べて心の中に描きだした。そして、どんな熱病に取付かれてもきっと死んでくれるな。長吉、安心しろ。乃公がついているんだぞと心に叫んだ」

 前回に紹介した『祝盃』で、世の良識を嘲笑した荷風は、『すみだ川』で自らの青春を祝福している。

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