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米中冷戦で、世界は「中華陣営」と「自由主義陣営」に分断される

米ソ冷戦と展開があまりに似ている

相似形の「米ソ冷戦」と「米中冷戦」

米国は「中国との冷戦」を戦ううえで、かつての米ソ冷戦を手本にしているようだ。そうだとすれば、これから米国に予想されるのは「トランプ・ドクトリン」と「包括的な対中戦略」の策定、それに「対中輸出規制の強化」ではないか。

私は先週のコラムで「トランプ政権はあたかも、かつて米国がソ連相手に展開した『冷戦のセオリー』にしたがって、政策を打ち出しているかのように見える」と書いた(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/58494)。10月26日公開コラムでも、米中冷戦を米ソ冷戦になぞらえて、経過をたどってみた(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/58138)。

未来を予想するには、過去の歴史が参考になる。冷戦のような大きな出来事では、なおさらだ。そこでもう1度、米ソ冷戦を手がかりにして、米中冷戦の展開を占ってみたい。すると「まだ、何が起きていないか」が分かるはずだ。

 

米ソ冷戦はモスクワ駐在の米外交官、ジョージ・ケナンが1946年2月22日、本国の国務省に宛てて発出した「長文電報」から始まった。ケナンは「国際共産主義は病気の細胞の上に繁殖する悪性の寄生菌のようなものだ」と指摘して、米国の指導力の重要性を強調した。

チャーチル英首相が米ミズーリ州フルトンのウエストミンスター・カレッジで演説したのは、それから約2週間後の3月5日だ。「バルト海のステッティンからアドリア海のトリエステに至るまで、鉄のカーテンが舞い降りた」と語った、あの有名な「鉄のカーテン演説」である。

長文電報による情勢分析はあくまで国務省内にとどまっていたが、チャーチルの演説は、欧州の東側がソ連の勢力圏になってしまった現実を、初めて世界に広く訴えた。そこから、米ソ冷戦はチャーチル演説を起源とする見方もある。

翌47年3月、トルーマン大統領はソ連との冷戦を宣言した「トルーマン・ドクトリン」を発表した。「ソ連は恐怖と圧政、統制された出版と放送…で成り立っている」とし「米国は武装した少数派や外圧による征服の意図に抵抗する自由な諸国民を支援する」と述べた。長文電報とチャーチル演説から1年後だった。

そして、先週のコラムに書いたように、同年6月、当時のマーシャル国務長官が大規模な欧州復興計画(マーシャル・プラン)を発表した。欧州をソ連から守るためだ。

一方、ケナンは外交誌『フォーリン・アフェアーズ』47年7月号に「ソ連の行動の源泉」という論文を発表した。「X」の署名が付されていたことから「X論文」と呼ばれている。49年4月に北大西洋条約機構(NATO)が発足し、50年1月には対共産圏輸出統制委員会(COCOM)が創設された。

初代事務総長の言葉を借りれば、NATOは、欧州が「アメリカを引き込み、ロシアを締め出し、ドイツを抑え込む」のが目的だった。現在は欧州の紛争抑止や平和維持活動も担っているが、米欧が協力してロシア(とドイツ)をけん制する同盟の本質は変わらない。

以上のような米ソ冷戦に比べて、いまの米中冷戦はどうか。