雑誌創刊の大成功から暗転……野間清治が受けた「大打撃」

大衆は神である(28)

ノンフィクション作家・魚住昭氏が極秘資料をひもとき、講談社創業者・野間清治の波乱の人生と、日本の出版業界の黎明を描き出す大河連載「大衆は神である」。

金策に困りながらも、野間清治が多くの人を巻き込み創刊した弁論雑誌『雄弁』は、創刊直後から売れに売れた。しかし、創刊から3ヵ月半後に起きた「大逆事件」の影響で、大打撃を受ける。

 

第三章 大逆事件と『雄弁』、そして『講談倶楽部』─「冬の時代」に (1)

「誤解」で部数半減!

『雄弁』創刊から3ヵ月半後の5月25日、松本警察が長野県明科の機械工・宮下太吉の部屋や工場から、爆裂弾の材料となる薬品やブリキ缶を押収した。宮下と新村忠雄はただちに逮捕され、7日後に幸徳秋水が逮捕された。

その後の捜査の展開は前に述べたので、ここでは繰り返さない。清治は『雄弁』創刊5周年(大正4年)記念誌上で「大逆事件と雄弁──これが私共に取つては、非常に遺憾とした所であつた」として事件の衝撃を次のように語っている。

〈時節柄青年客気の徒が得手勝手な放論を試みると云ふのは、甚だ危険であると当局は誤解した。『雄弁』が何か危険思想を鼓吹する雑誌でもあるかのやうに受取られたる為に地方の愛読者などでも、刑事に附纏はれて、五月蠅い許りに自然『雄弁』を捨てる事になつた。それでも猶雑誌を手にする者に向つては「君は何うしてあんな雑誌を読むのか」と恐しい訊問を受けるので、終(つい)畏れ入つて、購読を中途にして止めて了ふと云ふやうな人々が沢山生じた。

地方ですら此んな按排だから、東京は亦一層激しかつた。当時の編輯主任の大沢一六君なども、少時の間刑事巡査の護衛をうけてゐた。此れは非常な打撃だつた。折角吹いた新芽を二葉にして摘んで了ふやうなものだつた。読者は俄然として減じた〉

創刊から4~5ヵ月後に『雄弁』の売れ行きは7000部前後に落ち込んだ。それから2~3ヵ月後にはさらに減り、「ほとんど収支相償う程度で、都合によると(略)赤字が出るという程度になってきた」(清治の口述録)というから、当初1万部以上をキープしていた部数が大逆事件の影響で半減したとみていいだろう。清治は、5周年記念誌上でこうつづける。

〈雄弁会が悲運に会したのは此時である。折角こゝまで漕付けて、さて是れからと云ふ瀬戸際になつて、一大痛棒を喰つた。私は丁度荒野に置かれたるクリストである。大なる試練が今眼前に来たのである。直線的に進んで来た事業は此処に至つて、ハタと行詰つた。その上圧迫の手は厳しきまでに加へられた〉

清治の回想を読むと、疑問が浮かぶ。社会主義とは無縁だったはずの『雄弁』が、なぜ、当局の忌諱(きき=タブー)に触れたのだろうか。清治は「危険思想を鼓吹する雑誌」だと「誤解」されたからだというが、だとしたら、そういう「誤解」はどこから生まれたのか。