小林秀雄とは何者だったのか? 沢木耕太郎による作家論

スポーツ好きの彼はなぜ投擲を描いたか
沢木 耕太郎 プロフィール

自分の投げるべき「鉄の丸」

だが、この「オリムピア」と「私の人生観」と「オリンピックのテレビ」の三つの文章を時代順に読み進めていくと、同じ投擲種目について書きながら、小林秀雄の眼の位置が微妙に変化していることがわかってくる。最初の「オリムピア」では投擲直前の選手の体の一部と砲丸や槍のクローズアップだったものが、次の「私の人生観」では投擲する瞬間を含めた全身像が描かれることになり、さらに「オリンピックのテレビ」ではフィールドの外から競技の全体を眺め渡しているという印象の文章に変化していく。つまり、対象に寄っていたレンズが徐々に引きながら俯瞰していくというようになっているのだ。それは、小林秀雄の投擲種目に対する関心の在り方の変化をあらわしているように思える。

まず、小林秀雄における投擲種目がどのようなものだったか。それを理解するための接線となるような文章が「オリムピア」の中にある。

《併し、考えてみると、僕等が投げるものは鉄の丸だとか槍だとかに限らない。思想でも知識でも、鉄の丸の様に投げねばならぬ。そして、それには首根っこに擦りつけて呼吸を計る必要があるだろう。単なる比喩ではない。かくかくと定義され、かくかくと概念化され、厳密に理論付けられた思想や知識は、僕等の悟性にとっては、実に便利な満足すべきものだろうが、僕等の肉体にとってはまさに鉄の丸だ。鉄の丸の様に硬く冷く重く、肉体は、これをどう扱おうかと悶えるだろう、若し本物の選手の肉体ならば。無論、初めから選手などにならないでいる事は出来る。思想や知識の重さを掌で積ってみる様な愚を演じないでいる事は出来る。僕等の肉体は、僕等に極めて親しいが又極めて遠いのだ。思想や知識を、全く肉体から絶縁させて置く事は出来る。大変易しい仕事である》

このすぐあとに、小林秀雄は「ありの儘の言葉を提げて立っている」詩人こそが「言葉の選手」となるという、詩人への賛仰に近い思いを表白することになる。詩人の言葉こそが「鉄の丸」だと。

ここには、自分の投げるべき「鉄の丸」について思い煩っている三十八歳の小林秀雄がいる。

〔PHOTO〕iStock

投擲の選手が投げる。その行為のいかにシンプルで確かであることか。彼らの手の内にあるものは「砲丸」であり、「槍」であり、「円盤」という確かなものである。それに比べたとき、自分が手にしているもののいかに曖昧で脆弱であることか。

恐らく、小林秀雄は投擲選手の砲丸や槍や円盤のようなシンプルで確かなものを手にしたかったのだ。しかし、批評という「ヤクザ」な世界ではそのようなものを手にすることはできない。自分には詩人の言葉のような「鉄の丸」が存在しない……。

ところが、稀に「芸術」という同じ「ヤクザ」な世界で、奇跡のように投げるべき砲丸や槍や円盤を手にしてしまう人がいる。それを天才という。ランボー、ドストエフスキー、モーツァルト、ゴッホ……。小林秀雄にはそうした「奇跡の人」へのほとんど憧憬に近いものが根底にあるような気がする。彼らが投げようとした砲丸や槍や円盤を見いだし、彼らがそれらをどのように首根っこにこすりつけ、呼吸を計り、いかに投擲したか。もちろん、陸上競技のように投げられたものの距離が測られ、記録として残るということはないにしても、つまり投げられたまま虚空に消えてしまうにしても、彼らの砲丸や槍や円盤が空に描く軌跡だけは幻視することができる。

しかし、やがて、小林秀雄はそうした天才たちのそうした投擲を描いているうちに、「鉄の丸」が自らの手の内に入っていることに気がつく。いや、その「鉄の丸」を自分が投擲していることを発見し、そのことに自信を抱くようになる。それが四十七歳のときに書かれた「私の人生観」における《投げるべき砲丸を持たぬばかりに、人間はこのくらい醜い顔を作らねばならぬか》という言葉になるのだ。この言葉は、当然のことながら小林秀雄自身が投げるべき砲丸を持っていることを前提としている。

小林秀雄が描いた人たちは、私にはすべて虚空への砲丸や槍や円盤の投擲者に見える。そして、小林秀雄もまた同じような投擲者であったように思える。つまり、その天才たちが小林秀雄の砲丸であり槍であり円盤であったと。

レニ・リーフェンシュタールの映画に触発された「オリムピア」の小林秀雄には、それらのものを確実に握りたいというかすかな焦燥が透けて見えるようなところがある。だが、東京大会に触れて書かれた「オリンピックのテレビ」では、すでにその焦燥はなく、解説者の言葉に耳を傾けつつ、ただスポーツを「見る者」になっている。それもある意味で当然のことなのであろう。そのとき、小林秀雄は六十二歳になっていた。ここには、「虚空への投擲者」であることをやめて久しい小林秀雄が存在している。

そういえば、「本居宣長」の連載が始まるのはこの文章が書かれた翌年からである。そこにおける本居宣長は、すでに砲丸や槍や円盤としての天才ではなくなっているのだ。

(2002年7月)