小林秀雄とは何者だったのか? 沢木耕太郎による作家論

スポーツ好きの彼はなぜ投擲を描いたか
沢木 耕太郎 プロフィール

なぜ「投擲種目」だったのか

スポーツを「見る者」としての小林秀雄が残している文章の多くはオリンピックに関してのものであり、それは当然のことながら映像を通してのものということになる。

オリンピックの映像、それは映画とテレビということになるが、特徴的なのはそこで言及されているのが常に陸上競技だということである。

昭和十五年、小林秀雄は「オリムピア」というエッセイを書いている。ベルリン大会を描いたレニ・リーフェンシュタールの映画『オリンピア』を見てのものだ。

《砲丸投げの選手が、左手を挙げ、右手に握った冷い黒い鉄の丸を、しきりに首根っこに擦りつけている。鉄の丸を枕に寝附こうとする人間が、鉄の丸ではどうにも具合が悪く、全精神を傾けて、枕の位置を修整している、鉄の丸の硬い冷い表面と、首の筋肉の柔らかい暖い肌とが、ぴったりと合って、不安定な頭が、一瞬の安定を得た時を狙って、彼はぐっすり眠るであろう、いや、咄嗟にこの選手は丸を投げねばならぬ。どちらでもよい、兎も角彼は苦しい状態から今に解放されるのだ。解放される一瞬を狙ってもがいている》

さらにそれからほぼ十年後の昭和二十四年、「私の人生観」の中で、昭和二十三年開催のロンドン大会を撮った記録映画について触れ、次のように述べている。

《カメラを意識して愛嬌笑いをしている女流選手の顔が、砲丸を肩に乗せて構えると、突如として聖者の様な顔に変ります。(中略)この映画の初めに、私達は戦う、併し征服はしない、という文句が出て来たが、その真意を理解したのは選手達だけでしょう。選手は、自分の砲丸と戦う、自分の肉体と戦う、自分の邪念と戦う、そして遂に征服する、自己を。かような事を選手に教えたものは言葉ではない。凡そ組織化を許されぬ砲丸を投げるという手仕事である、芸であります。見物人の顔も大きく映し出されるが、これは選手の顔と異様な対照を現す。そこに雑然と映し出されるものは、不安や落胆や期待や昂奮の表情です。投げるべき砲丸を持たぬばかりに、人間はこのくらい醜い顔を作らねばならぬか。彼等は征服すべき自己を持たぬ動物である。座席に縛りつけられた彼等は言うだろう、私達は戦う、併し征服はしない、と。私は彼等に言おう、砲丸が見付からぬ限り、やがて君達は他人を征服しに出掛けるだろう、と。又、戦争が起る様な事があるなら、見物人の側から起るでしょう。選手にはそんな暇はない》

〔PHOTO〕iStock

そして、その十五年後の昭和三十九年、東京大会のテレビ中継について触れた「オリンピックのテレビ」という短文の中では、次のように書いている。

《或る外国の女子選手が、これから円盤を投げるところだ。彼女の顔が大きく映る。しきりに円盤に唾を付けている。この緊張した表情と切迫した動作は、一体何を語るのか。どんな心理、どんな感情の表現なのか。空しく言葉を求めていると、解説者の声が聞えて来る。口の中はカラカラなんですよ、唾なんか出やしないんですよ―私は、突然、異様な感動を受けた。解説者の声というような意識は、私には全くなかったからだ。ブラウン管上の映像が口を利いたと感じたからである。私は全身が視覚となるのを感じた》

ここで印象的なのは小林秀雄が取り上げている種目である。「オリムピア」では、引用した一節にある砲丸投げ以外には槍投げが取り上げられている。つまり、小林秀雄が取り上げているのは、「オリンピックのテレビ」でわずかに触れられている依田郁子の八十メートルハードルを除くと、砲丸投げ、槍投げ、円盤投げとすべて投擲種目なのである。

日本選手が出場できなかったロンドン大会は別にしても、三段跳びの田島直人や長距離の村社講平などの日本選手が多く映し出されており、ジェシー・オーウェンスの出ていた百メートルや孫基禎が優勝したマラソンがあったレニ・リーフェンシュタールの『オリンピア』では、投擲以外にも陸上競技に印象的なシーンはいくつもあったはずだし、東京大会についても、長時間のテレビ放送の中に、他にもっと印象的な競技や種目はあったに違いない。

なぜ投擲種目だったのか。

陸上競技の中でも、アスリートが自ら走ったり跳んだりする種目ではなく、何かを投げるという種目に対する強い関心は、単なる偶然という以上のものがあるように思われる。