12月 1日 日本初の商用洋式高炉で銑鉄が作られる(1857年)

科学 今日はこんな日

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1857年のこの日、盛岡の鉱物学者・冶金技術者の大島高任(おおしま・たかとう)が、盛岡藩大橋(釜石)に建設した洋式精錬高炉で、銑鉄の製造に成功しました。これは商用高炉としては日本初のことです。

日本に鉄の精製法が伝わったのは6~7世紀ごろとされており、古代から「たたら製鉄」と呼ばれる製法が用いられてきましたが、幕末期、海防のために多くの大砲が必要となり、大量生産が可能な西洋由来の製鉄法が日本でも採り入れられるようになります。

大島は1855年に水戸那珂湊に反射炉を製作したのに続いて、この釜石の高炉でも鉄の生成に成功したことから、「近代製鉄の父」と呼ばれています。

砂鉄ではなく鉄鉱石を原料とする高炉の登場によって鉄の生産量は飛躍的に向上しましたが、じつは品質の面では昔ながらの「たたら製鉄」に軍配があがります。強靭で切れ味が鋭い日本刀は、手間と時間をかけてつくりだされた純度の高い鉄なしには生まれなかったのです。

大島は、大橋での成功をうけて、同じく釜石の橋野にさらに高炉を建設します。この高炉は、1番から3番まで作られましたが、明治政府より鋳銭を咎められて1番高炉と2番高炉が操業停止に。3番高炉は、現在の新日鉄釜石製鉄所につながる釜石鉱山田中製鉄所に吸収され、1894年(明治27年)まで操業しました。

高炉跡は、国の史跡に指定(1957年)され、世界遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産となっています。

橋野高炉跡
  現在の橋野高炉跡 photo by PhotoAC

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