やがて哀しき「プロ野球ドラ1たち」のその後の人生

栄光は一瞬、人生は長い 
週刊現代 プロフィール

年収は天と地の差

ただ、ボールだけを追いかけてきた男が、初めて知る社会の「イロハ」。毎日が勉強の日々だった。

「会議で議事録係を任されても、タイピングが遅いから間に合わず、必死でメモをとって、あとでじっくり打つしかない。

所属部署に同い年の上司がいたのですが、仕事のスピードが僕とは全然違う。『知らないことばかりなうえに、仕事も遅い。こんな僕を雇っていて、会社になんのメリットがあるのだろう』と悩んだこともありました」

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ちなみに、会社での巽の年収は約350万円でボーナスはなし。入団時に契約金1億円、年俸1500万円の待遇を受けていた巽からすれば、雀の涙のような金額だろう。

「確かに、もっといい条件の職場もあったのかもしれません。でも、いい年をした男に、挨拶ひとつからていねいに教えてくれる環境はなかなかない。人生で初めて、おカネを稼ぐことの大変さも教えてもらった。会社には感謝しかありません」

現在、その会社を辞した巽は、ゴルフの室内練習場でアルバイトをしながら、次の夢を追っている最中だ。

「体の大きなアスリートが着られる服のブランドを立ち上げたいんです。普通のお店のXLサイズでも、僕たちからしたらちょっと小さくて、直さなければ着られない。

まずは、ネット通販のサイト開設からコツコツ始めたいと思います」

増渕や巽のように、一度野球を離れた元選手が、自らの限界を知り、スポーツ関連の職業に活路を見出すケースは多い。

だが、球団とも、スポーツとも関係のない場所で、長年奮闘している元ドラ1もいる。

 

首都圏に24の店舗を構える不動産賃貸売買仲介企業「CLCコーポレーション」の川崎支店。ここで、マネージャーを務めている細見和史(45歳)も、その一人だ。

同志社大学時代は通算18勝を挙げ、'95年のドラフトで横浜から晴れて1位指名を受けた。提示された契約金は1億円、年俸1200万円と、大卒ルーキーとしては最高の待遇だった。将来のエース候補に対する、球団の期待がうかがえる。

「もちろん、1年目から『やってやろう』と意気込んでいました。でも、なかなか結果が出ずに二軍暮らしが続いて、4年目には椎間板ヘルニアを患い、リハビリの日々が続きました」

細見が、先発としてようやく初勝利を挙げるのは、入団5年目の'00年。広島相手に6回を無失点に抑えた。

お立ち台でこらえきれずに号泣する細見の姿は、スポーツニュースで大きく取り上げられた。

「大学時代にピッチングを指導してくれた布施健次さんというコーチがいたのですが、僕がファームでくすぶっている間に亡くなってしまった。『あとほんの少し早ければ、布施さんに恩返しできたのに』と考えたら、涙が止まりませんでした」

恩師に活躍を誓った細見は、この年5勝を挙げ、'01年には3歳年上の夫人との結婚も果たす。挙式では、森祇晶監督(当時)が挨拶に立ち、「小宮山(悟)の穴を埋めるエースになって欲しい」と発破をかけた。

だが、ついに細見が「ハマのエース」になることはなかった。

'01年以降は1勝も挙げられず、'02年のオフに西武へトレード。ほとんど登板機会のないまま、オフに解雇される。その後、阪神にテスト入団するも、またしても1年でクビになった。実働5年間の通算成績は5勝9敗にとどまる。