「最後のコサック」ビクトル古賀の壮絶人生

「死ぬときはきっぱり。それが美学だ」
石村 博子

平和な、馬と生きるコサックの暮らし

今回、20冊近い取材ノートを読み返して、浮かび上がってくる話があることに気がついた。本には書くに至らなかったが、ささやかにキラキラ光る、点描みたいなエピソード。平和な時代、馬と生きるコサックの暮らしを語ったところだ。

「馬車の馭者は、馬に鞭を入れてるんじゃないんだよ。自分のブーツを叩いてその音で馬に指令を伝える。コサックは馬を叩かない。馬具にも具にも馬の皮は絶対使わない」

「馬と寝るだろう。身体の習性がよくわかるんだよ。どうすれば怒るか、どうすれば鎮まるか。それは人間と闘うとき、すごく役に立ったね」

「冬は馬に風邪をひかしたらアウトだからね。乾草で周りを囲んで、俺たちは足元に座る。馬小屋はあったかくて気持ちいいよ」

 

埃りが立たないような走り方、いい鞭を作るため女の子の髪で三つ編みの練習をしたこと、斜めにしても落ちない帽子のかぶり方……、活き活きと甦る記憶は、フリーズしたものが溶け出すようだった。

ロシア革命後、コサックはスターリンによって存在そのものを否定され、村も馬も全てを強奪されていた。満州北部のコサック村も対ソ防諜の拠点として、命運は関東軍が握っていた。

自分を護り育てる世界はもうすぐ失われた世界になるということを、ビーチャは分かっていた。最後のコサックとして、見たこと、聞いたこと、教えられたことを深く記憶にとどめていった。そしてそれらを日本に運んできてくれた。

ビクトル古賀は拘束されることが何より嫌いだった。東海大学でも講師以上は断固拒否し、役職無し、お金なし、家族に対してもマイペース。「いくら言ってもきかないから、最後は笑うしかありません」と、長男の肇さんは語っている。

自由を愛したビクトルが、いちばん自由だったのは満州独り歩きの時だったのだろう。死ぬか生きるか、場面場面でコサックの命が輝いていた。

「死ぬときはさっぱりと。それが美学だ」

かっこよすぎる?でも本当にそうなったから、今頃は笑顔でいるんだろうな。
スパシーバ、スパシーバ、永遠のビーチャ!