引き裂かれた家族。敬礼をしているのがビクトル(『たった独りの引き揚げ隊』より引用。写真提供:ビクトル古賀氏)

「最後のコサック」ビクトル古賀の壮絶人生

「死ぬときはきっぱり。それが美学だ」

ロシアの国技・サンボの世界王者・ビクトル古賀が亡くなったのは11月3日。享年83。伝説の格闘家だったが「人生でいちばん輝いていたのは10歳のときだった」と明言する。

たった独り満州の曠野を歩きぬいた日々を克明に描いた『たった独りの引き揚げ隊』(角川書店)の著者がビクトル古賀の在りし日の思い出を語る。

最後のコサック・ビクトル古賀

ビクトル古賀と最後に会ったのは、9月27日だった。

数年前に手首を骨折し、それ以降人と会うのが大儀そうだったので、浦賀行きは長いこと中断したままになっていた。それがあるとき知り合いにビクトルの話しているうち、急に行かなくちゃという気分になったのだ。

いつもの居酒屋に杖を突いて現れたビクトルは、前よりひとまわり小さな体になっていた。本当は「武士の情け」で、痩せた体は見せたくなかったそうなのだが、ビクトルの面倒を見続けた橋本さんという人が何とか家から連れ出してくれたのだ。少し照れくさそうな表情と響きのある声は以前と同じで、「医者に入院しろって言われたけど、いろいろ理由をつけたら、しなくて済んだんだよ」と相変わらずの病院嫌い。

ウーロンハイを四杯もお代わりして「俺ももう終わりだから、形見分けするから。11月末になったらまた来て」

楽しみにしていたのに、11月に入って4日後、橋本さん関連から訃報が来た。本当に!

 

「俺はね、コサックとしては長生きしすぎたの」

10年以上前からそう言い続け、いつも大丈夫だったのに。朝、いつまでたっても起きてこないと思ったらという、ご家族にとっても突然の旅立ちだったという。

「ビクトル古賀」といえば、サンボの世界チャンピオンとして旧ソ連からスポーツ英雄功労賞を受賞し、モスクワのスポーツアカデミーにはレリーフまで飾られた伝説の人である。41連戦オール一本勝ちという金字塔を打ち立て、かつての共産圏ではまさにヒーロー。

日本国内のサンボの試合で、巴投げをかけた瞬間。39歳ごろ(『たった独りの引き揚げ隊』より引用。写真提供:ビクトル古賀氏)

空港に降り立ったら赤じゅうたんが敷かれていて、旧ユーゴスラビアのチトー大統領からは別荘をもらい、そこを拠点に東欧各地も転戦した。「どこでも女にもてたよ」と、ちょっと自慢。

「俺のこと、神様と思っている人、けっこういるの。昔やった技を披露すると、感激して泣くんだよ」

でも「格闘技」の「カ」の字も知らない私が無謀にも接近したのは、少年時代のビーチャに惚れ込んだからだ。