負けを承知でAIに挑む気か…ここがおかしい「大学の国語入試改革」

伊藤 氏貴 プロフィール

実りある改革のために

現場の苦労も知らず、重箱の隅をつつくように「共通テスト」をくさしていい気になって、と思われるかもしれないが、一言弁解すれば、現場の苦労は知らないわけではない。私のキャリアは高校教員と予備校教員から始まっており、大手の予備校で国語の模擬試験やテキストを20年ばかり作りつづけてきた。

記述式の問題はほんとうに大変で、複数の採点者が公平に採点でき、しかも受験生の表現のニュアンスを極力汲みとれる基準を作るための会議にはおそらく受験生たちが想像できないような時間がかかる。また、現在でも高校の国語教科書の編集代表を務め、現場の先生方と頻繁に意見交換もしている。

細かいことを言えばきりがない。たとえば入試センターが公開している別の参考問題は、はっきり言ってひどい。正答例が明らかに本文を誤読しているものすらある。本文では「カラーテレビによる中継放送がこのオリンピックをもって始まった」と言っているのに、正答例ではその部分を受けて「東京オリンピックの時からカラーテレビによる放送が始まったという言説もある」となっている。

「中継放送」とただの「放送」とはもちろん異なる。ただこういう間違いはなかなかなくせない。できるだけ大勢で問題を解きあって、精度を高めるしかない。マーク式のように正誤をはっきり定めるのは難しい。

 

だから、あえてこうした困難な改変をすること、記述式の導入も、テキストの複数化も、実用文重視も、その意図を含めそれぞれ十分理解できるつもりでいる。しかし、これまでのプレテストでは本来の意図を十分反映できないどころか、無用な負担をほうぼうに強い、結果としてAIでもできるような、そしてAIには勝てないような力を伸ばすことに集中してしまうのではと不安でならない。

記述式によって、AIには不可能な思考力や表現力を問おうというならば、小説など文学的文章を用いた方がいい。本文の表現をそのまま抜き出しても解答にならず、行間に思いを巡らし、自分のことばで解答しなければならないからだ。京大やかつての千葉大にはそうした良問がたくさん見られた。

しかし、「共通テスト」の規模では、そうすることができないのも事実だ。ここでは、記述式は1~2問に絞り、書き手の意図を捉えるものにすること、複数テキストの大問もせいぜい1~2題にすること、表やグラフを用いる場合は今回のようにもともと本文に載っていて原著者の意図を十分反映したものにすること、など、あまりドラスティックには変えない方がよいのではないか、というやや後ろ向きな提案をすることしかできない。

そもそも長い時間をかけて練り上げられてきた現行の「センター試験」が、大学入学の一次選抜として問題があるという話はほとんど聞かない。にもかかわらずここで大改変を行おうということの裏には、PISAという世界水準の試験を意識した外圧と、来るべきAI新時代に対応できる人材の育成という内部的問題との両方があるだろう。

ただし、PISAで成績の良い国、たとえばフィンランドなどではとりわけPISAを意識した試験などは行っていないのであり、むしろ「国語」では解答が一つに定まらないような意見論述を中心に授業を行っている。

また、来るべきAIとの闘いという点に関しても、どうやってもAIにかなわない土俵にわざわざ上がるよりも、AIには将来にわたって不可能な分野、すなわち行間を読み、相手の意図を汲み、さらには自ら新しい価値を創造することに重きを置く教育が求められるのではないか。

こうした点では、実は「共通テスト」よりも、それに合わせて高校国語の指導要領が変わることの方がずっとおそろしいのだが、そのことは別稿に譲る。どちらももう決まってしまったこととはいえ、実施までにはまだ多少時間がある。本試の作成はこれからだろうし、教科書会社はまさに今、新指導要領に則った新しい教科書作りを始めるところだろう。

今からでも議論を尽くし、少しでも実り多き改変になることを望むばかりだ。