負けを承知でAIに挑む気か…ここがおかしい「大学の国語入試改革」

伊藤 氏貴 プロフィール

「思考力」「論理力」から「検索力」へ?

まず、「センター試験」から「共通テスト」への改変事項の3点目、問題文の複数テキスト化についてだが、これは今回のプレテストでも維持されている。

複数の文章を読み比べて、共通の問題点を探したり、比較することで問題を多角的に捉えたり、さらにはそこから自分自身の意見を培ったりするのは非常に重要なことで、これを入試で反映させることは悪いことではないだろう。複数テキストをじっくり読み比べることで「思考力」を養うのがこの改変の眼目のはずだ。

しかし、すべての大問を複数テキスト化してしまうのはいくらなんでも行き過ぎではないか。一つひとつの問題文が皮相なものになるからだ。

 

「センター試験」では4つの文章だったのが、「共通テスト」では大問が1題増えて、それぞれが複数テキスト化するので、最低10本の文章・資料を読まなければならず、慌ただしいことこのうえない。それぞれの作題者が複数テキストでの出題を指示されたためこうなったのだろうが、「共通テスト」全体で考えてほしいものだ。

もちろん、情報過多の現代にあって、さまざまな資料にすばやく目を走らせ、必要な情報を選び取る技術はより重要になっているのかもしれないが、そうした技術はどれほど磨いたとしてもAIには決して勝てない。

試験時間内にたくさんの資料から必要な情報をかき集めるというだけならこれは「思考力」や「論理力」というよりは「検索能力」でしかない。そしてこれほどAIが得意とする分野もないだろう。

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今後の社会において必要とされるのは「検索」ではなく、そんなことはAIに任せ、そこから得られた情報をもとにいかに深く考え、いかに新しいことを考え出せるかだろう。むやみにテキストを複数化するのはむしろこの流れに逆行するもののように思える。

というのは、テキストを複数化することで、当然一つひとつの文章は短くなり、そうなると文章内部での論理展開がなくなるからである。実際、今回のプレテストで出された評論の2つのテキストは、「指さし(ポインティング)」と呼ばれるヒトの行動に関するものだが、いずれも事柄の説明レベルにとどまっており、テキスト内部で論理が展開されることはない。だから、原著は「評論」であったとしても、使用されている部分だけではたんなる「説明文」でしかない。

複数のテキスト間の関係性を発見することに「論理」の力が必要であるのは当然だが、設問を見ると、3つの問いのうち、複数のテキストを見比べなければ解けない問題は1問だけで、残りの2問はそれぞれのテキスト内部で解答できてしまう。しかも、テキスト全体でなく、傍線部の前後だけを見れば十分解答できる設問である

これではたして「論理力」を十分に鍛えることができるだろうか。それよりも、従来のようにある程度長い文章を読ませ、そこにある筆者の論理展開をきちんと把握することの方が、物事を論理的に説くことには役立つのではないか。

複数テキストによる出題は、これまでも小論文入試などでは行われていた。そこではたいていの場合、比較するだけでなく、自身の考えを述べることが求められ、真に思考力、論理力を問うことができたが、しかし「共通テスト」のような大規模試験ではもちろん自由記述は難しい。それなのにあえて複数テキストと記述式設問を組み合わせる必要があるのか、大きな疑問が残ったままプレテストは終わってしまった。