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北方領土、このままでは「二島さえ返ってこない」可能性

危険極まりない交渉へ

14日、シンガポールでの日露首脳会談で、「1956年の日ソ共同宣言を基礎に平和条約締結の交渉を加速することで合意ができた」と安倍総理が言ったことで、日本、ロシアの双方で騒ぎになっている。

日本では、4島のうちいくつで手を打つべきかという勇み足の交渉技術論が盛り上がり、日本での熱狂ぶりを伝え聞いたロシアでは、日本に自国領を渡すのはけしからんという怒りの声が聞こえる。

しかし外交官としての現役時代から30年弱、北方領土問題に直接、間接に携わってきた筆者には、この問題を今動かそうとすることは、日本を取り巻く国際情勢を十分読んだ上でのこととは思えず、これまで何度も繰り返された「独り相撲をやってはすっころぶ」空騒ぎの再現にしか見えない。

どうしてそう言えるのか? 

 

4島は一貫して日本領だった

日ロ双方の当事者、そしてマスコミの、この問題についての議論は、歴史の真相を踏まえていない。2島だ、いや4島だと議論を始める前に、歴史を簡単に振り返ってみる。

日本とロシア帝国が初めて国交を結んだのは1855年、日露和親条約においてである。この時ロシアのプチャーチン代表が秘かに携えていた皇帝ニコライ1世の訓令には、両国国境をエトロフ島とウルップ島の間とすることで差し支えないという趣旨が書いてあり、プチャーチンはその線で日本と合意している。

つまり国交の当初から択捉・国後・色丹・歯舞の4島(歯舞は群島)は日本領と認定され、これはその後の諸条約に受け継がれて、1945年8月15日の終戦後、ソ連軍に占領されるまで変わらなかったのである。

ちなみにソ連は1946年2月には北方4島をソ連の領土とする法律を採択、1947年には日本人島民(約1万7000名いた)を補償もなしに着の身着のままで北海道に強制送還し、それまで皆無であったソ連国民を入植させて現在に至る。

国際法的には戦争後の占領がいまだに続いていることになる。こうした状態は平和条約によって、黒白をつけなければならないのである。

ソ連、そして現在のロシアは、「ソ連の対日戦争参加を決めた1945年2月のヤルタ会談で、ルーズベルト大統領は、ソ連参戦の代償として『千島列島』(当時ウルップ島以北の千島列島は、日本領であった)をソ連に渡す約束をした。この中に北方4島も含まれている。これが『戦後の現実』なのだ。これを覆すようなことは国際情勢を不安定化させるので、やめろ」という趣旨を繰り返している。

日本はこれに対して、「ヤルタ会談は連合国内部の談合に過ぎず、領土の処理は戦敗国との平和条約で決めるものだ。1951年のサン・フランシスコ平和条約には日本が『千島列島を放棄する』と書いてあるが、この中に北方4島は含まれていない。それに、この平和条約にソ連は署名をしていないので、いずれにしても2国間の平和条約締結が必要だ」と主張してきた。