井上尚弥に敗れた男が初めて明かす「モンスターの実像」

怪物に敗れた男たち①
森合 正範 プロフィール

5回以降、リング上では「井上の物語」と「佐野の物語」が交錯する。左手一本で試合を組み立てる20歳の怪物。血だらけになりながらも強打に向かっていく31歳のベテランファイター。「左だけで倒してやる」。「噛ませ犬になってたまるか」。二人の熱き魂がぶつかり合う。佐野は打たれながらも、エンジンがかかってきたという。

「井上君も5回以降、特に7回以降は『ハア、ハア…』と息が上がってきた。右拳も痛めているし、やっぱり初の日本人対決で警戒心や緊張感があったはず。それに僕が打たれ強くてびっくりしたと思う。『なんで倒れないんだろう』と困惑しているのが分かりましたから」

ダウンを奪われようが、ポイントで大差になろうが、佐野は決してあきらめなかった。意地と反骨心、そして勝利への執着心。佐野の覚悟が会場の雰囲気を少しずつ変えていく。井上の怪物ぶりを見に来たはずの観客から次第に「佐野」コールが沸き起こった。「佐野の物語」が厚みを増していく。

「こんなに血が飛んでくるのか」

リングサイドの記者席にいた中日スポーツの永井響太は驚いた。佐野がパンチを浴びるたび、白いノートが赤くにじんだ。「31歳がここまで粘るとは…。このファイティングスピリットはすごいな」

 

「佐野、ごめんな」

最終の10回。ついにこの瞬間が訪れる。レフェリーが両者に割って入り、パンチを浴びる佐野を抱きかかえた。10回1分9秒、TKO。佐野はレフェリーからかけられた言葉をはっきりと覚えている。

「今だから言えますけど、あのとき『佐野、ごめんな』と言われたんです。もっと闘いたい、KOされることなく闘い抜きたい。その気持ちをレフェリーも分かってくれていたんだと思います。でもあの展開では、まあ仕方ないですよね」

佐野の人生を懸けた闘いが終わった。

試合から一夜明け、新聞各紙には「井上、左手一本でデビュー3連続KO」と見出しが躍った。ところが佐野の周辺では予期せぬことが起きていた。ブログにはコメントが殺到し、ジムの電話も鳴り響いた。佐野の粘り、頑張りに胸を打ったテレビの視聴者から多くのメッセージが届いたのだ。

「何が嬉しかったかというと、僕の試合を見て『感動しました』『泣きながら試合を見ました』と書き込みがあったり、ファンレターが来たことです。結果として、僕はチャンピオンになれなかった。だけど、もしかしたら人を感動させることって、チャンピオンになるより、難しいことかもしれない。強くて凄いボクサーはたくさんいる。でも感動させられるボクサーはなかなかいない。それができただけでもよかったなと思うんです」

井上戦は今なお佐野の誇りだ

試合に敗れても眩いばかりに光り輝くことができた。倒れても前へと立ち向かっていく姿は人々の心に刻まれた。それができたのは、対戦相手が井上尚弥だったからこそ、だった。