WBA世界バンタム級王者、井上尚弥(大橋ジム)の試合後はいつも何とも言えない複雑な気持ちで会場を後にする。
「怪物」の異名にふさわしいリング上での圧倒的なパフォーマンスを目の当たりにし、興奮しながら取材を終え、原稿を書き上げる。日本史上最高傑作のボクサーが持つ凄みを余すことなく描けているのか。この2試合、濃密な112秒と70秒のKOを紐解けているのだろうか。「素晴らしいものを見た」という高揚感とともに、「伝えきれなかった」という自己嫌悪が襲ってくる。
井上という稀有なボクサーを伝えたい。いや、もしかしたら、私自身、井上の何が凄いのか分かっていないのかもしれない。10月のパヤノ(ドミニカ共和国)戦から2日後、現代ビジネスの編集長にそんなことを話すと、こう言った。
「だったら、井上と対戦した選手を取材していったらどうですか。怪物と対戦した相手に話を聞けば、そのすごさが分かるんじゃないでしょうか」
その言葉を聞いて、井上が二十歳になったばかり、プロ3戦目で拳を交えた佐野友樹(松田ジム)の顔が頭に浮かんだ。
闘った者にしか分からないことがある。2013年4月16日、井上と対峙した佐野がリング上で感じたことは。そして今、怪物に敗れた男は何を思うのか。名古屋の松田ジムへ。私は井上尚弥を探る旅へと出た。
「誰も手が届かないところに行ってしまった」
闘いを終え、控室に戻った佐野は血を流し、腫らした顔で他の日本人ボクサーたちに呼びかけた。心からの叫びだった。
「みんな、井上と闘うなら今しかない。来年、再来年になったらもっと歯が立たなくなる」
あれから5年半が過ぎた今、発言の意図を振り返る。
「あの試合が井上君にとって初の10ラウンド。彼に唯一ないものが経験だった。正直、あのときはまだ『モンスター』になっていなかったと思う。試合をやってみて、これでキャリアを積んだら、本当に誰も太刀打ちできなくなる、やるなら今しかないぞ、と思って言ったんです」
すぐに苦笑いを浮かべて「だけど…」と言葉を紡いだ。
「あのコメントは外れていますよね。ここまで強くなるとは思わなかった。もう日本人の誰も手が届かないところに行ってしまった。(米国の世界6階級制覇王者)デラホーヤとかスーパースターのレベル。あんなことを言ってしまって、ちょっと恐縮しています」
2013年、底冷えするような1月の半ば。松田ジムのマネジャーを務める松田鉱太の携帯電話が鳴った。画面を覗くと大橋ジムのマッチメイカーからだった。
「尚弥の対戦相手を探していてね。なかなか決まらない。誰かいないかな」
井上は高校アマ7冠を引っ提げ、プロ入り。デビュー戦で東洋太平洋ミニマム級7位のフィリピン王者をボディーで倒し、数日前にはプロ2戦目でタイ王者を1回で沈めたばかりだった。
松田はすぐに察知した。当時、井上は日本ライトフライ級6位。松田ジム所属の佐野は日本ランク1位だった。井上はその座を狙いに来たのだ。多くの日本人ボクサーに対戦を断られている、という話も聞いていた。
「1日だけ待ってもらえますか」
松田はそう言って、電話を切った。
佐野はアマで70戦近く闘い、プロ23戦17勝(12KO)2敗4分け。世界王者の井岡一翔、高山勝成、宮崎亮らと幾度となくスパーリングを重ね、得意の右ストレートでぐらつかせたこともある。だが、右目に白内障を患い、1年近く試合から遠ざかっていた。
「もしかしたら現役生活はそう長くないかもしれない。だから、消化試合のような相手とはやりたくないんです。どんな相手でもいいから強いヤツとやらせてください。」
ジムに意向は伝えていた。そんなときに飛び込んできた井上戦のオファー。松田から聞くと、佐野の胸の中は熱くなり、即答した。
「井上とやらせてください!」
この試合はフジテレビが21年ぶりとなるゴールデンタイムでのボクシング中継を予定していた。明らかに主役は井上だ。佐野はスターの引き立て役、この世界で言う「噛ませ犬」だった。しかし、噛まれるつもりはさらさらない。佐野だって小学5年からボクシングを始め、日本王者、ひいては世界王者を夢見て、汗水垂らしてきた。
「31歳だったし、待っていてもチャンスは来ない。ボクサーは何を目指しているかというと、最強を目指しているわけじゃないですか。井上君がアマでバンバン倒してみんな対戦を逃げていると聞いていた。僕だって怖い。だけど、逃げたくない。僕には相手にはないキャリアがある。ある意味チャンスだと思った」

名のある井上を食えば、一気にジャンプアップできる。佐野にも野心がある。これは「人生を懸けた闘い」だ。
かくして、井上尚弥がプロで初めて日本選手と対戦することが決まった。