2018.11.23
# 現代史

平成の終わりは、昭和末期の「劣化コピー」である〜ループする衰亡史

「不安の商人」が煽るバブルに要注意
與那覇 潤 プロフィール

そして流行思想の発信者にとって、哲学とITが果たす機能は同じです。フランス語の原書を突きつけて「俺はこれを読んだんだぞ!お前はできるのか?」と脅しておけば、読者はなんとなく信じてくれる。そうしたマウンティングの道具がプログラミングのコードや、シリコンバレーでの勤務歴に替わったということでしょう。

もちろんマウンティングの鞭だけでは消費者がつかないので、思想を売るには適切な飴が必要です。たとえば「具体的なモノは有限でも、イベント(出来事)としてのコトは無限なので、優良なストーリーを発信するインフルエンサーには無尽蔵のビジネスチャンスがあります!」といった感じでしょうか。

しかし世界はモノでなくコトでできているというのは、日本のポストモダンの産婆役を務めたマルクス主義哲学者の廣松渉が1975年に主張していたことで(『事的世界観への前哨』 )、新しい議論ではまったくありません。

バブル時代にストーリーで商品を売る技法をPRすると、いかに広告代理店や企業の重役からお金をせしめられたかは、大塚英志さんが『「おたく」の精神史』 で誠実に告白されているので、その種のセミナーに誘われる前に読んでおくことをお勧めします。

「不安の商人」に支配されないために

近年では水野和夫さんの諸著作に痕跡をとどめていますが、「資本主義はフロンティアをめざす」が、かつてのマルクス系論客のテーゼでした。天然資源のフロンティアたる植民地の分割競争が終わると、各種の金融商品を作り出して今度はバーチャルなフロンティアを奪いあう。

逆にいうと搾取し尽くしてフロンティアがなくなれば、金づるを失って資本主義は終わるとする理屈です。しかしなかなか終わらないので、むしろマルクス主義の信用が先に失墜し、冷戦の終焉とともにとどめを刺されました。

私も「資本主義は終わる」論には与しませんが、「これをやらないとAI時代の負け組になる」として、あれこれと意識の高い要求をする言説の氾濫に接して、ふと気づいたことがあります。

それは人の心こそがいま、最大の――ひょっとすると最後の「資本のフロンティア」になっているということです。

 

たとえばもう一生遊んで暮らせるほど稼いだ実業家が、なぜいつまでも働くのでしょうか。「純粋に仕事が楽しい」という側面は、もちろんあるでしょう。

しかし純粋に楽しくて働くというわりには、累進課税で高い税率を払うのは嫌なので、政治家に文句を言ったり資産を逃避させたりする人も多いようです。楽しく働いて、楽しく(納税の形で)社会に貢献して、楽しく感謝される。まさに理想の人生に思えますが、なかなかそうできないみたいですね。

企業のトップクラスも含めて、多くの人は楽しいからではなく、不安だから働いているように思えます。それは、将来の生活をまかなう金銭面での不安だけではなく、働くのを止めて「生きる意味」が消滅することへの不安でもあるのでしょう。

兵器産業を「死の商人」と呼ぶことには賛否がありますが、こうした社会生活を動かす最大の要因としての不安に商機を見出す人々を「不安の商人」と呼んでも、さほどクレームはつかないのではないでしょうか。

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