2018.11.23
# 現代史

平成の終わりは、昭和末期の「劣化コピー」である〜ループする衰亡史

「不安の商人」が煽るバブルに要注意
與那覇 潤 プロフィール

地方の衰退が生む「しょっぱいバブル」

こうした観点でみると興味深い事件が、静岡県の地方銀行だったスルガ銀行のスキャンダルです。「長い目では必ず儲かる」と売り込まれるシェアハウス投資やアパート経営事業に絡み、十分な資産のない申請者にまでデータを捏造して、ローンを貸してきたという不祥事ですね。

ひとことでいえば、「しょっぱいバブル」でしょう。バブル期には「絶対値上がりするから」という理由で借金してでも土地を買い、転売して売り抜けるビジネスが全国で横行しました。しかし今回の件を精緻にみると、たんに「スケールがしょぼい」と嘲うだけではすまない病理が見出せます。

浪川攻氏の取材によると、アパートローンへの貸出が主力商品となっているのは地銀業界全体の動向で、不動産価格の急騰がみられたバブル期とも共通の現象だそうです。しかし、往時との大きな相違が3つあるようです(「スルガ銀行『失敗の本質』」『Voice』2018年11月号 )。

1つめは目下のアパート経営ブームが、好況による不動産の高騰というより、「高齢化にともなう相続税対策」を主因としていること。2つめは、人口減少が進行する地方(地元)では投資案件を見出せず、情報網のない都心部への投機に地方銀行が乗り出した結果、ずさんな融資が続発していること。

 

どちらも日本の成長ではなく「衰退」が原因となって、「しょっぱいバブル」が生じた構図ですね。3つめはアベノミクスに至る低金利政策の副作用で、金融緩和で「金あまり」となった結果、地銀は従来以上に「貸出先がない」状態におちいり、危ない投資案件へ追いやられているという話です。

私たちは衰退している。そのことを前提としてはじめて、妥当な対案や解決策が見いだせる。しかし、そうした態度に徹するのは難しいことのようです。

むしろ不都合な現実から目をそらし、ダウングレードをあたかもアップデートであるかに装って、いわば「劣化バブル」で平成の末期を乗りきろうとする風潮が、いま社会に広がってはいないでしょうか。

AI言説という「劣化ポストモダン」

言わずもがな平成は、情報化とインターネットの時代でした。IT業界で「バズった」話題が全社会人必修の知的教養のように扱われ出すのは、『ウェブ進化論』 (梅田望夫著)がヒットした2006年ごろでしょうか。2008年にはiPhoneが国内でも発売(米国では前年発売)され、「砂糖水を売るのか、世界を変えるのか」のスティーヴ・ジョブズが、日本でもカリスマになりました。

しかし2011年3月の震災以降の、SNSの世論や動員で社会を変えるというムードは早期に退潮し、いまはネットを通じて「いかに効率よく個人ブランドの砂糖水を売るのか」を説く本が、ベストセラーの主流となっています。よりよい世界への変革というより、既存の社会に適応しサバイバルするツールの方を、読者が求めているわけですね。

この転回には既視感があります。革命で「世界を変える」ことをうたったマルクス主義が、1970年前後の学生運動の過激化を最後に凋落の一途をたどり、むしろ80年代のバブル期には大文字の「政治」を回避し、ニューメディアを活用して賢く資本主義と戯れる態度が「ポストモダン」として称揚されました。

当時、そうした風潮の「泊づけ」に利用されたのはフランス現代思想でした。蓮實重彦さんによる1978年の書名でいえば、『フーコー・ドゥルーズ・デリダ』 といった思想家たちです。

ミシェル・フーコー〔PHOTO〕Gettyimages

たとえば①「人間なる概念はもはや死語であり、それに囚われずに生きるべきだ」(フーコー)、②「だから人為と自然、ないし人工と自然といった二項対立は脱構築され、今後は意味がなくなる」(デリダ)、③「結果としてツリー状ではなくリゾーム状の、指令中枢をもたない社会が出現するだろう」(ドゥルーズ)。そんな感じの物言いが流行ったのです。

お気づきのとおり、目下流行の「次に来る社会をこれで生き抜け」本の内容は、これらの思想の変奏です。①は「AI(人工知能)が人間に近づくことで、人間の役割はなくなる」、②は「VR(仮想現実)やAR(拡張現実)が発展して、現実の定義が変わる」、③は「ブロックチェーンが自律分散型のトークンエコノミーを作り、社会経済を根底から覆す」といった話の元ネタともいえるでしょう(より近いルーツには、重複する時期に流行した複雑系の思想がありますが、今回は割愛します)。

「たんに思想として言うのと、具体的な技術に実装するのでは違う」と感じた方もいるでしょう。そのとおりです。

しかし、シンギュラリティ(AIが人間を追い越す地点)が来ることを立証した学者はおらず、仮想通貨は投機の対象にこそなれ、まったく既存の法定貨幣を代替できていないのに、なぜかそうしたビジョンが「必ず実現する」かのような論説が蔓延している。それは技術を装って、思想を広めているということにほかなりません。

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