ゲイの学生が同性に抱く、本当の「想い」とは

あなたの知らない同性愛者のリアル
鈴掛 真 プロフィール

ゲイの学生から見た「学校」という世界

片想いの相手に気持ちを伝えるのは、男女の場合であっても勇気のいることだろうけれど、同性愛者にとっては、切れるかもしれないぼろぼろの綱で橋の上からバンジージャンプするようなもの。

ゲイだと知られたら、もう友達としてもいられなくなるかもしれない。そうしたら、まさに奈落の底。

みなさんは、一橋大学ロースクールのアウティング事件を覚えていますか?

2015年、男性の同級生に告白したAくんは、その相手から、Aくんがゲイであることと、もう友達でいられないことを、友人たちが見ているLINEグループで暴露され、校舎から身を投げて亡くなりました。

そのLINEグループでは、過去にも「同性愛者は生理的に受け付けない」という話題になったことがあったんだとか。

同性愛嫌悪のほとんどが、この「生理的に受け付けない」などの感情に集約されています。それってとても恐ろしいことだな、と思う。

だって、何年も掛かってどれだけ友情を育んでも、ゲイだとわかった途端、それまで育んだ友情が、相手にとってはすべて無意味になってしまう。

「僕だから」じゃなく、「同性愛者だから」嫌われてしまう

僕がどんな性格かとか、これまでどんなものを培ってきたかで評価してほしいのに、ただゲイというだけで、問答無用で拒絶されてしまう。

性別・人種・国籍・宗教・そしてセクシュアリティ。何か1つ当てはまるだけで誰かを拒絶してしまうのは、相手がそれまで積み上げてきたその他すべてを否定することになる。

ともすれば、人はどこまでも冷酷になれる。そうして様々な悲劇が、人類の歴史上、世界中で起こってきました。

だから、差別はとても恐ろしい。

 

自分をカモフラージュしなければいけない檻

僕は6年前に作家デビューしたタイミングで、家族にも友人にも同性愛者だと隠さないオープンリー・ゲイとなったわけだけど、学生の頃は、とてもじゃないけど学校でカミングアウトなんてしようと思いませんでした。

1クラスに40人も生徒が集まれば、全員と仲良くするなんて不可能。ゲイを受け入れてくれる子がいてくれたとしても、「嫌だ」「生理的に受け付けない」と思う子がいれば、そんな教室に毎日通おうなんて思えません。

教師だって、クラス内で仲間外れやいじめがあっても、我関せずと黙認していることなんて、ざらにある。そもそも同性愛者の子どもへの教育に知見のない教師がほとんどだろうし。

色んな先生が教えてくれる数多の教科から、様々なことを学べるはずの学校だけど、女の子が好きなふりをして本当の自分を隠していた僕にとっては、とても小さく、窮屈な世界に思えました。

いつか、こんなふうに自分をカモフラージュしなきゃいけない檻の中から抜け出せたなら、って。

きっとAくんもそんなふうに、外の世界への脱出を願っていたのではないでしょうか。
学校という、狭いコミュニティからの脱却。セクシュアリティをひた隠す日々からの解放。そして、友人への片想いの告白。

一橋大学の悲劇は、決して繰り返してはならない。

だって、もしも女性に告白された男が「あの子に告白されたんだけど、生理的に受け付けねえわ。マジありえねえ」なんて豪語していたら、誰もが非難するはず。
男女だったらきっと誰かが守ってくれるのに。それがただ、同性だったというだけで。

異性に対しても、同性に対しても、誰かのことを好きだと思う感情は同じだということを、誰もが当たり前に感じてくれる社会になったらいいんだけどな。

100人に3人がゲイである昨今、LGBTを「知らない」より「知ってる」ほうがよくない? ーー隠す必要がなければ「カミングアウト」も必要ないという思いのもと、「ゲイって心は女なの?」「ゲイって趣味じゃないの?」「ゲイの息子を持つ親として大切なことは?」「ゲイは性に奔放ってホント?」等々の素朴な疑問に、真正面から答える短歌&エッセイ集。