そのうちに顔見知りが増え、商店主からちょっとした頼まれごとをするようになった。街の人たちもこの頃から「あの市原って人、良く見るね」と言い合うようになったそうだ。商店街の人間関係も何となくわかるようになり、また自分と同じように円頓寺に愛着をもち、何かをしたいという仲間を得ることもできた。

60年以上続く円頓寺商店街の祭りのである七夕祭りも、頼まれたわけでもないのに、仲間と一緒に手伝った。昼間は千葉県でプレゼンがあるにも関わらず、飛んで帰って夕方には祭りのハリボテをつくっていたり、空いてしまったスペースに急ごしらえのギャラリーをつくったりもした。

周囲の商店主は「あんたなんでやってるの」と聞いてきたが、「なんででしょうね」とほほ笑んでいた。こうして「街の常連」になることで、商店街への関わりが自然な形で育まれたのだ。それが、新しいことを始めるときに大きな手掛かりになった。

これ以上店を減らさないために

円頓寺からこれ以上店がなくならないようにしたい、と思って市原が仲間と始めたのは空き店舗対策だった。最初は他の自治体がやっているような正攻法で空き店舗バンクを造ろうとしたが、まったく成果があがらなかった。誰しも「空き店舗リスト」に自分の不動産を載せて公開されるようなことは嫌だったのである。少なくとも名古屋のメンタリティには合わなかった。

市原は、相手の身になってみたらそれも無理はない、と思った。そこで、この建物をもし自分が借りるとしたら「家賃はこれぐらい、こういう店を出したら面白い」という案をつくって、ここぞと思う空き店舗の大家さんに会いにいくことにした。

そして自分が円頓寺に関わりたいと思った原点が「人を集める魅力的な店」だったことに立ち返り、提案する店は「ここに来ないと出会えない物や味、空間、人などを備えた店」であることにこだわったのである。

ただ空いている店舗が埋まればよいのではなく、そこに新しい店ができることが確実に円頓寺の求心力に寄与すること。建築の知識をもっていたうえに、このこだわりのビジョンを描けたことが、それまで「古い建物を貸すのは面倒くさい」と思っていた大家たちの気持ちを動かした。

そして大家たちと引き合わせてくれたのは、街の常連になることで知り合った商店主や円頓寺に住む飲み仲間だったのである。

半分以上閉じていた商店街だったが昔ながらの良さと共存して、「わざわざ来たくなる」店が増えたことで、息を吹き返した 撮影/入江啓祐

変化はゆっくりと

市原が始めた空き店舗対策のために、「ナゴノダナバンク」というプロジェクトを立ち上げてから、今年でちょうど10年になる。完全ボランティアのこのプロジェクトで生まれ変わった店は計28軒で、現存が26軒だ。

前述したように、この26軒が繁盛し続けているインパクトは大きい。今では希望者も多いが、市原は「老舗になりうるポイントがあるかどうか」を見極めているという。

円頓寺は古い商店街だけに老舗が多い。そうした老舗と肩を並べていける店を一年に2~3軒ずつ開店させていった。最近はひとつのビルができれば一度に20軒の店が開店するのもざらであることが考えると、かなりゆっくりのスピードだ。

しかし、急激な変化ではなく、じわじわと新しい店が増え、今まで来なかったタイプの客が商店街に来るようになったからこそ、既存の商店街との不協和音もなく、「古くて新しい」という新旧共存の魅力が可能になったといえるだろう。

次回は建築家として古い民家や空き店舗をどのようにリノベーションしていったのか、建築物としての生かし方や再生可能かどうかの見極めについてお伝えしたいと思う。

仕事としてではなく、街を愛する者として完全ボランティアで商店街の復興を始めた市原氏。自然光が入る屋根に変更した 撮影/入江啓祐
市原正人がシャッター商店街を甦らせた街との関わり方

・人との繋がりから街との繋がりへ
・街の常連になることから始める
・街の魅力の原点を忘れない
・変化はゆっくりと