相対論と量子論の暗黙の了解を覆した「ペンローズ」とは何者か

名著のプロローグ「鍵」を特別公開!
竹内 薫 プロフィール

四角い顔に刻まれた逆ハの字形の力強い眉毛、きりっと一直線に結ばれた長く薄い唇。顎の先は二つに割れている(鬚をそるのが大変に違いない)。意志の強さと穏やかな気性を物語る大きく黒い瞳。

だが、なんといっても印象的なのは、明晰な頭脳とバランスのとれた知性の持ち主だけに許された謎の微笑みだ。

モナリザの微笑

ケンは、師匠に会うたびに、その研ぎ澄まされた知性と、人なつっこい微笑みのアンバランスさに戸惑ってしまう。

「はあ、はあ、……遅れてしまって、……すみません」

「いや、なに、今、税関から解放されたとこさ」

「途中でスピード違反で警察に捕まってしまって」

「おいおい、帰りは安全運転で頼むよ」

「師匠、女王陛下から両肩に剣を当てられた気分はどうです?」

ようやく落ち着きを取り戻したケンが尋ねた。

「そうだね、歳のせいか、膝をついていて、膝頭が痛くて困ったよ。だが、あの剣の紋様は気に入った。うちの家紋よりデザインがいい」

ロジャー・ペンローズは、その画期的な数理物理学の業績によって、大英帝国のナイト爵を授与された。これにより、ロジャーも、ニュートンやエディントンといった歴史に冠たる科学者たちの仲間入りを果たしたということだ。

そうだ、われわれもロジャーなどと呼び捨てにしてはいけない。これからは、敬意を払って、サー・ペンローズと呼ぶことにしよう。

「そういえば、トイレットペーパーの裁判はどうなりました?」

ケンが紙をくるくる巻くような仕草をしながら訊いた。

「おかげさまで勝訴したよ」

サー・ペンローズが、ひそひそ話でもするように声のトーンを下げて答えた。

ケンは、タータンチェック模様のサー・ペンローズの旅行鞄を手にもつと、駐車場まで案内した。

「真紅のスポーツカーとはすごい」

サー・ペンローズが、目を丸くして、やや大袈裟に驚いてみせた。だが、ケンにドアを開けてもらって助手席に乗り込んだサー・ペンローズは、こんどは、本当に驚きの声をあげた。

「こ、これは!」

GT-Rの内装は、サー・ペンローズが発見した「ペンローズタイル」とよばれる幾何学模様で覆いつくされていた。

「師匠、あとでビールおごりますから、デザインの無断使用で訴えたりしないでくださいよ」

ケンが茶目っ気たっぷりに片目をつむってみせた。

ロジャー・ペンローズとは何者か

フィクション風のプロローグを書いてみた。ケン・モージャイというのは、友人の脳科学者・茂木健一郎がモデルであり、師弟関係ではないものの、実際に彼はペンローズと親しくつきあっている。

ロジャー・ペンローズという名は、実に伝説的な響きをもっている。

ただし、私は、『皇帝の新しい心』や『心の影』といった作品に代表される、ベストセラー作家としてのペンローズのイメージのことを言っているのではない。

ペンローズは元来、数学者である。特に数理物理学の分野において、前人未到の驚異的な業績を挙げ続けてきた巨人なのだ。

え? どんな業績か?

たとえば、エッシャーの有名な『上昇と下降』のリトグラフ(下図)。

上昇と下降 エッシャーエッシャーのリトグラフ All M.C.Escher works © Cordon Art B.V. -Baarn- the Netherlands / ハウステンボス

あの不可能図形のアイディアは、幼いロジャーが遺伝学者の父親とともにエッシャーに教えたものなのだ。