誰でも必ずモノにできる「理系の英語」学習のために絶対必要なこと

物理学者が「英語」の本を書く理由
志村 史夫 プロフィール

「学校英語」を「実戦英語」に変える─理系英語をモノにする法

私を含む一般的な日本人の英語学習の過程を考えてみよう。

現在は小学校から英語が教科の一つになっているようだが、私が英語を習い始めたのは中学1年のときである。本書が対象にしている多くの読者(具体的には後述する)も同様であろう。

私は、外国語である英語の教科書を生まれて初めて手にしたとき(もう半世紀以上も昔)の感動をいまでもはっきりと憶えている。その教科書の最初に出ていた英語の文は“I am a boy. You are a girl. This is a pen. That is a book.”だった。

私は10年余りアメリカで生活したが、中学校で最初に習ったこれらの英文を使ったことはもちろん、聞いたことも一度としてなかった。

考えてみれば当然であろう。“I am a boy. You are a girl. This is a pen. That is a book.”のようなことをいう機会が、実際の生活の中であり得るだろうか。私がもし、実際にそのようなことをいったとすれば、私の“知性”は間違いなく疑われるだろう。私自身、もし、まじめな顔をしてそのようなことをいう人に会ったとすれば、間違いなくその人の知性を疑う。

いまにして思えば、なんという笑止千万、奇怪な文章をもって英語を習い始めたことだろう。さすがに、最近の中学校の教科書からは“I am a boy.” や“You are a girl.” のような奇怪な文は消え、自然な“会話”文から英語学習が始められているものと信じるが、アメリカで生活するようになって以降、「学校で習った英語はいったいなんだったんだ!」と腹立たしく思ったことは少なくない。

たとえば、前置詞問題の“定番”の一つに、
  
「6時10分前です」 It is ten minutes(  )six.
(  )に入る前置詞はなにか

  
というのがあった(いまでもあるだろうか?)。ごくごく素直に考えれば、「前」なのだから“before”でよさそうだが、それは×で、正解は“to”だった

私も、渡米直後は律儀に“to”を使っていたのだが、このような場合に“to”を使うアメリカ人は稀(まれ)だった。接するアメリカ人のほとんどが“before”を使うことに気づいてからは、私も“before”に変えた。

親しいアメリカ人に「日本の学校ではtoが正しく、beforeは誤りと教わったのだが……?」というと、「まあ、文法に厳格なカタブツはtoを使うかもしれないが、フツウのアメリカ人はbeforeを使う」とのことであった。私は「なあ〜んだ、素直にbefore を使えばいいんだ」と安心したものである。

同様に発音についても、「なあ〜んだ」と思ったことが少なくない。

たとえば、学校英語の発音問題の“定番”の一つに、「silent “t”」、すなわち「発音しない“t”」がある。代表例が“often”で、学校で習った正しい発音は[ɒfn]であり[ɒftn]のように“t” を発音したら×だった。

ところが、親しいアメリカ人(私と同じ分野の著名なニューヨーク出身の学者)がいつも[ɒftn]と“t”を発音するので、気になって日本の学校で習ったことをいうと「ニ
ューヨーク出身者の多くは[ɒftn]と発音する」ということだった。聞くところによれば、ポートランド出身者の多くも“t”を発音するらしい。実際に、私のアメリカでの経験からいっても、“often” の“t”を発音するアメリカ人が少なからずいる。

また、試験問題の“定番”に「(a)と(b)が同じ意味になるように( )の中に適当な語句を入れよ」という問題があった。( )に入る語句は、たとえば(have to)と
(must)、(will)と(is going to)であったりする。

しかし、日本語では同じ「〜しなければならない」、「〜するつもりである」であっても、英語の微細な差異を考えれば(have to)と(must)、(will)と(is going to)では同じ意味にはならないのである。だから“have to” と“must”、“will” と“is going to” という2つの表現が存在するのだ。

にもかかわらず、「学校英語」ではそれらが「同じ意味」として扱われる。

本来、英語は英語であり、またcommunication(後述するように、本書では「英英辞典」の効用を強調するので、極力“カタカナ日本語”ではなく、元の英単語を使う)の道具としての言語の役割を考えれば、英語に「学校英語」や「実用英語」(本書でいう実英語)のような“種類”があるのはヘンである。

しかし、私自身の経験からいっても、私が日本の学校で習った英語(学校英語)とアメリカで実際に使われている英語(実戦英語)とは、必ずしも同じ英語とは思えないのである。

日本人は通常、誰でも中学校から(最近では小学校から)英語を義務教育として学習する。本書の読者の大半は、十数年以上の英語学習経験者であろう。総じて、日本
人が「英語」に捧げる時間、労力は相当なものではないか。

しかし、正直にいわせてもらえば、少なくとも「文明国」といわれている国で、日本人ほど英語を使えない国民はいないのではないかと思う。私はいま、“一般的なこと”をいっているのであり、もちろん日本人の中にもnative speaker並みの英語の達人がいることも事実ではあるが、多くの日本人の「実戦英語力」は、彼らが捧げた時間と労力がはなはだ虚しくなるlevel に留まっているのではないだろうか。

ノースカロライナ州立大学時代、私の研究室には日本人の客員研究員のほかに中国人や韓国人、ポーランド人、ペルー人、ウクライナ人など、英語を母国語としない国から来た助手や留学生がいた。また、私の授業を受けに来る学生の中にもそのような留学生は少なくなかった。もちろん、私たちの日常語は国際交流言語である英語である。

彼らの英語力と比較してみると、明らかに日本人の実英語力が劣っているといわざるを得ないのである。英語の勉強に6〜10年、あるいはそれ以上の年月をかけた日本人の英語が、ほとんど実践の場で使いものにならないというのは、やはり何かがおかしい。

その“何か”とは何なのか。