講談社の礎となった雑誌『雄弁』はこうして誕生した

大衆は神である(27)
魚住 昭 プロフィール

刑事の監視も

団子坂の「大日本雄弁会」は、雄弁熱に憑かれた学生たちの梁山泊になった。1階奥の、庭に面した8畳間が編集室であり、たまり場でもあった。

そこには、清治が当時最も尊敬していたリンカーンの肖像写真が額に入れて飾られ、2脚のテーブルが、編集机となり、食卓となり、協議の場となった。

何人か集まると、清治発案の「抽選演説会」が開かれる。皆が思い思いの題を紙に書き、こよりにしてテーブル上の筆立ての中に入れる。演題は「忠義と愛国心」「日本の将来」、あるいは「山と水」「犬と猫」などさまざまである。そのくじを引いた者は、引き当てた題で即席演説をしなければならない。

 

「抽選演説会」はときに朝から深更までつづいた。その後、いよいよ熱狂的になり、近所の原っぱや停車場でもやり、氷屋でもやった。「私達の大きな声は社の門前を通り過ぎる人々の足を止めたり、或は何か特別な会合でも行われているのではないかと、刑事が、私共と隣の家との間に立って、一晩中その演説を聞いていたことさえもあった」と『私の半生』に記されている。

刑事の監視は、話のついでにさらりと触れられているが、実際には、生まれたばかりの『雄弁』の運命を左右しかねない重大事だった。

発端は、言うまでもなく大逆事件である。