ノムさんの告白「沙知代よ、君がいない毎日は本当につまらなくて」

あれから一年。いま、思うこと
週刊現代 プロフィール

悪妻かどうかは私が決める

ご存じの通り、生前の沙知代はいろいろと世間様を騒がせ、時にはご迷惑もおかけした。

私が、'77年に南海の監督をクビになったときも、2001年に阪神の監督をクビになったときも、その原因は彼女にあった。世間からは、まごうかたなき「悪妻」と思われていただろう。

だいたい、夫の俺に話していた経歴からして、みんな嘘だった。

出会った頃に、英語を流暢に話す彼女を見て、「どこで覚えたの?」と尋ねると、すました顔で「コロンビア大学」。本当は福島の農家の娘なのに、自分は社長の娘だと言い張っていた。とうとう沙知代が、私を両親に会わせることはなかった。

めったに言葉を荒らげることのない私だって、何度怒鳴りつけてやろうと思ったかわからない。

だけど、彼女と別れようと考えたことは、人生で一度たりともなかった。

「俺以外に、お前と上手くやっていける人間が、この世にいると思うか」

そういう気持ちだった。

 

私は生来の不安性で、ふとした瞬間に弱気の虫が顔を出す。そんなとき、平然とした顔で「なんとかなるわよ」と励ましてくれる彼女に救われた回数は、数限りない。

悪妻かどうかは、周囲ではなく、夫である私が決めること。何度聞かれても、私は断言できる。

「サッチーは、これ以上ない最良の妻であり、私にとっての最高のラッキーガールだった」と。

こうして妻を見送って時間が経つと、意識し始めるのは、やはり自分自身の死だ。私も少しずつ、人生の始末を始めている。

まず、独りで生きるにはいまの一軒家は広すぎる。老い先短く、取っておきたいような品物もない。狭いマンションに引っ越すことも考えている。

墓も買った。あとの細々した始末は、息子夫婦に任せればいいと思っている。カネのことで迷惑をかけたら悪いから、そろそろ遺言くらいは書いておこうか。

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自分の死にくわえて、もうひとつ頭をよぎるようになったこと。それは、ちょうど50年前に他界したおふくろのことだ。

父は私が3歳のときに亡くなり、看護師だった母は女手一つで私を育ててくれた。

体が弱くて、大病を患いながらも、黙々と働き続けた。それでも、家計はちっとも楽にならない。本当に貧しかった。

おふくろは、苦労するためだけにこの世に生を受け、死んでいったような人だった。

時折、おふくろの葬儀の日のことを回想する。

棺の中に目をやる。やせ細った体を見たとたん、

「おふくろよ、人生、幸せだったのか」と思わず声が出て、めったに流さない涙がとめどなくあふれた。

「おふくろ、ありがとな」と、もっと言ってやればよかった。好きなものをもっと食べさせてやればよかった。もっと、もっと……。男は死ぬまで母を忘れないとどこかで読んだが、どうやらそれは本当のことらしい。