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息子が「父親の背中を追いかけない時代」に父子の絆を描くということ

平成30年間で、親子像はこう変わった

変化に追われ続けた、平成という時代

大学を卒業して就職したのが平成元年だった。当時はバブル時代で、「新入社員はどいつもこいつも変わり者で理解に苦しむ」と『新人類』と呼ばれた。

たぶん今の若い人と比べたら、充分大人が理解できる範疇だったと思うが、そう言われながら私は新聞社に入り、記者を20年やり、平成21年に退職して作家に転身した。平成が終わる来年平成31年には作家10年目を迎える。

この30年の変化は目まぐるしく、「記者→作家」と転身した身としては、まさか「活字文化の衰退」と言われる時代が来るとは想像していなかった。

 

入社した頃の記者は、原稿用紙にボールペンで手書きして、それをファックスで送った。入社2年目、プロ野球のヤクルト担当になりアリゾナ州ユマに春季キャンプの取材に行ったのだが「おまえ、これ持ってけ」とデスクから渡されたのが、大きなファックスマシンだった。

それを両手で抱きかかえ、手荷物検査場と入国審査場に並んだのだ。よく不審者と怪しまれなかったものだ。

3年目の同じく春のキャンプの頃、私がいた産経新聞社は、他社に先駆けてワープロを導入した。普通は締め切りの1時間くらい前に原稿を書き始めれば間に合うが、4時間前から記者席に籠り、左右の人差し指二本を使ってピアノを弾くようにキーボードを叩いた。

このワープロはバックライトのない暗い画面をしていて、夜はまったく見えない。野球のナイター後は照明塔だけが頼りで、画面に灯りが当たるようグラウンドに背中を向けて記事を書いた。

記事の中身も今とは違う。平成10年くらいまでは「試合の状況は一行も要らないぞ」と言われた。

つまり「二死満塁フルカウントから内角直球を左中間に本塁打」などはテレビを見て知っているから書く必要がなく、選手が普段なにをしているか、妻や子供とどんな会話をしたか、そんな「エピソード」を集めてこいと命じられた。それを知るため選手の自宅に電話して家族から話を聞いた。

それが今や試合の状況どころか、テレビで張本勲さんが「喝!」を入れたり、芸能人がワイドショーでコメントした内容まで新聞社のニュースサイトに出る。野球中継が減っただけでなく、テレビを見る人も少なくなったから、それらがニュースバリューとなったのだ。

これはあくまでも私が経験した「記者」という世界の中での平成時代の大変化であるが、どの仕事でもすべてがアナログからデジタルへと変わり、ツールとしては便利になったが、人はその変化に追われ続けた、それが「平成」だったのではないか。