人工生命に慰霊碑と花束を(後編)

生命1.0への道 第15回
藤崎 慎吾 プロフィール

切り絵は触るべきもの

ところで岩崎さんの考えでは、前ページのように平面的に眺めるだけでは、切り絵を鑑賞していることにならない。それでは版画やペン画を見るのと同じになってしまうからだ。実際、これまでの日本の切り絵は本や雑誌の挿絵として使われることが多く、有名な『モチモチの木』(斎藤隆介作、滝平二郎絵)などもそうだが、それだけ見ると木版画と区別がつかない。そのような使われかたに高校生時代の岩崎さんは疑問を感じ、切り絵ならではの表現を次のように考えた。

「木版画と切り絵の違いって何かというと、1つは三次元性を持っていることです。持ち上げるとたわんだり曲がったりするし、重ね合わせることもできる。また、向こう側が透けて見えるとか、光を当てれば影ができて、それを影絵として利用したりもできます」

この特性を生かすためには印刷したり壁に貼ったりするのではなく、空間の中に吊るして展示するといった工夫が必要だ(写真10、11)。また曲げたり重ねたりすることを考えれば、具象画よりは抽象画が適している。

【写真】切り絵を持ち上げる
【写真】切り絵を透かす
  写真10 写真8と同じ切り絵を持ち上げて、透かしてみたり重ねてみたりすると、新たなイメージが浮かび上がる(上)。光を当ててできる影も、切り絵表現の一部になりそうだ(下)
【写真】展示作品の1つ
  写真11 実際の展示作品の1つ。切り絵は立体的に吊るされている。運動性シアノバクテリアの映像が背景に映しだされ、そのプロジェクターの光が切り絵の影を同じ画面に投げかけている。フラスコの中でぶくぶく泡立つ水とともに、さまざまな生命のイメージが渾然一体となっている感じだ(提供/岩崎秀雄氏)

「それから、やっぱり何だかんだ言ってすごく壊れやすいといった要素があります。あと基本的につくるときには、ずっと紙に触れているので、視覚芸術である以上に触覚芸術なんです。そのへんは木版画とは全然違う世界なので、そこを取りださないといけない」

繊細な切り絵に触るのは、ちょっとはばかられるのだが、岩崎さんは、

「でも、その感覚が重要なんです。基本的にあれは触るべきものだと思う。半分皮膚感覚で味わうものなのが、日本では視覚だけで味わうものになっちゃっている。台湾の切り絵のお土産というのは台紙に貼ってなくて、薄いやつをパラフィン紙に挟んでいます。だからパラフィン紙を取ると触れるんですよ。ほんとにヒラヒラしたやつを手に載せて、愛でられるんです。それが僕にとって切り絵の原体験になっています」

と言う。

今回、僕も初めて本格的な切り絵に触るという体験をさせてもらったのだが、ちょうど小さな潰れやすい虫を指先でつまむようなドキドキ感があった。岩崎さんの作品には、生命的なパターンとともに、命の脆さや儚さが触覚として潜んでいる。

製作時にも、こうした生命の抽象表現と皮膚感覚とは関係しあっているようだ。切るのに時間がかかるというのは、脆くて壊れやすいという事情もある。また岩崎さんは次のようにも言う。

「ずっと触りながら切っていくことになるので、視覚的にこの画像が欲しいというのに加えて、この隣にこういう触覚が欲しいみたいなことが即興だと出てきます。じゃあ、こう切ろうということになる。それはもう絶対に他のメディアでは、ありえない。切り絵ならではの進めかたになります」

シアノバクテリアは自分たちを俯瞰して眺めることはできないし、そもそも目がない。増殖や動きのリズムもあるだろうが、バクテリアどうしが触れ合うことで生み出されるパターンもあるのではないだろうか。だとすれば、その点も切り絵と無縁ではないかもしれない。