〔PHOTO〕小林真梨子

キャリア10年、tofubeatsはいかにして「唯一無二」となったのか

本を読み、曲を作り、社会に問いかける

ニュータウン生まれ、インターネット育ち。

そんな出自から頭角を現しメジャーデビュー5周年を迎えたtofubeatsは、いつの間にか、似たポジションの人が他に誰もいない、とてもユニークなアーティストとなっていた。

肩書きは「音楽プロデューサー/DJ」。クラブミュージックの最新の潮流をキャッチアップしつつ、これまで森高千里や藤井隆など多彩なゲストを迎えJ-POPの楽曲を発表してきた。

しかし、作品を重ねていくうちに、tofubeats自身が歌うシンガーソングライター的な楽曲が徐々に増え、そしてその音楽には「社会への問いかけ」が内包されるようになってきた。

昨年に発表されたアルバム『FANTASY CLUB』のテーマは「ポスト・トゥルース」。そして先日リリースされた4枚目のアルバム『RUN』は、初めて誰もゲストを迎えず一人で歌った一枚。制作にあたっては『ニュータウンの社会史』という書籍に強く影響を受けたという。

tofubeatsはどこを目指して進んでいるのか。00年代の「かつてインターネットがフロンティアだった時代」の空気を色濃く体現していた彼は、そこからの時代の変化をどう捉えているのか。その現状認識と問題意識を語ってもらった。

(取材・文:柴那典、写真:小林真梨子)

tofubeatsさん

時代性や社会性を意識するということ

――改めて前提から問いたいんですが、tofubeatsというアーティストは、時代を反映したもの、もしくは社会に対しての問いかけとして音楽を作っているわけですよね。

はい。

――でも、決してすべてのミュージシャンがそうしているわけではない。娯楽性に徹している人もいます。

ああ、たしかに、言われてみたらそうですね。

――「なぜtofubeatsはそういう発想と価値観を持って音楽を作っているのか」というところから聞いていければと思うんですが、どうでしょう?

何なんでしょうね。最初からそういうもんだと思ってました。ヒップホップを聴いていたからかな。それに、娯楽に徹しようが、時代性は出るものだと思うんです。だったらそれは意識してたほうがいい。

 

――たしかに『ブラックパンサー』を筆頭に、アメリカの映画や音楽には、エンタテインメントに徹していながら今の社会への問いかけが成されているようなヒット作が沢山ありますね。

娯楽ってそういうことだと思うんです。メッセージをキャッチーに伝えるために娯楽の機能があるというほうが近いと思うんですけどね。

――それを踏まえて、今回のアルバム『RUN』は、娯楽性と、その裏側にある社会性が、とても筋が通った形で同居していると思いました。

ありがとうございます。よかったです。

――昨年にリリースされたアルバム『FANTASY CLUB』は「ポスト・トゥルース」というキーワードをテーマにした作品でした。そのときから今作に至る道筋はあったと思うんですが、そこにはどういう経緯があったんでしょうか。

前作を作るときに、マネジメント体制が変わったんです。かかわる人間が多いとどうしてもエンタメに寄っていくというか、いろんな人が喜ぶものを作ろうとする性質が自分にはあって。

でも、自分とマネージャーがOKすれば何でも出せるような状況になった。それで、以前は「メジャーでこういうことはやっちゃダメだ」と勝手に思っていたようなことを形にしたのが『FANTASY CLUB』だったんです。

ただ、自分としてはキャッチーにやったつもりなんですけれど、娯楽性が下がったとか、小難しいとか、そういう賛否両論の意見があった。

じゃあ、次は内容やアプローチはそんなに変えずに、見え方をもっと明るくできたらいいと思って今回のアルバムを作っていったんです。

――『RUN』というアルバムの全体像のイメージは最初からあったんでしょうか。

いや、けっこうギリギリでしたね。今回は『ニュータウンの社会史』という本を読んだことが制作する上では鍵になっているんです。

ただ、僕の曲は、言ってしまえばだいたいニュータウンの曲なんですよ。郊外と都市とか、内と外とか、そういう距離感みたいなものから書いていくのが、自分の作詞のやり方なので。