なぜか新司令部を設置…相模原の米軍「巨大補給基地」を巡る謎の動き

駅前の一等地が分断され続ける
半田 滋 プロフィール

チグハグな配備

自衛隊のミサイル防衛は、航空自衛隊の運用トップ「航空総隊司令官」が担う。同司令官が首相や防衛相から弾道ミサイルの「破壊措置命令」や「防衛出動」などの行動命令を受けた場合、海上自衛隊のイージス護衛艦を含めた「BMD統合任務部隊」の指揮を執ることになっている。

ミサイル防衛の中心となることから、航空総隊は米軍とのミサイル情報の共有と連携強化を図るため、2012年に府中基地から在日米軍司令部のある横田基地に移転した。横田基地に新設された航空総隊庁舎の地下は米第5空軍司令部庁舎と結ばれている。

そして必要に応じて、自衛隊の統合、陸海空各幕僚監部とインド太平洋軍司令部(ハワイ)や在日米軍司令部との間で「共同統合運用調整所」が開設される。

これらは2006年に日米合意した「米軍再編ロードマップ」で取り決められた。既に日米の連携は始まっているのだ。

今回の第38防空砲兵旅団司令部の新設は、航空自衛隊と米空軍という主役二人が舞台に出揃っているにもかかわらず、米陸軍が「私も…」とシナリオを無視して飛び入り参加するようなものではないだろうか。

在日米陸軍は、第38防空砲兵旅団司令部を相模総合補給廠に配備した理由について「キャンプ座間は手狭なため」と説明する。

本当だろうか。

 

昨年10月、相模総合補給廠で奇妙な動きがあった。常駐していた唯一の部隊である「第35戦闘維持支援大隊」がキャンプ座間に移転したのである。この移転により空き家になった庁舎に1年後になって、入居したのが第38防空砲兵旅団司令部である。

相模総合補給廠は米陸軍の車両、補給物資などモノを保管・備蓄する兵站基地である。そして第35戦闘維持支援大隊は、戦闘部隊のための展開、撤収の計画や調整、作戦地域の設営、運営などの兵站全般を任務としている。

だから、兵站部隊の第35戦闘維持支援大隊は、兵站基地である相模総合補給廠にいたのだ。その部隊を「第1軍団フォワード司令部」という戦闘部隊のいるキャンプ座間に押し出し、戦闘部隊の第38防空砲兵旅団司令部が相模総合補給廠に入るのは、ボタンの掛け違えのような配備ではないだろうか。

米軍基地に詳しい地元の金子豊貴男相模原市議は「これはおかしい。本来なら第35戦闘支援大隊は相模総合補給廠に残り、キャンプ座間に第38防空砲兵旅団司令部を配備した方が効率的なはず。相模総合補給廠は十分な通信設備もなく、宿舎もないから、結局、第38防空砲兵旅団司令部の要員はキャンプ座間との間を行き来することになるだろう」といぶかしむ。

相模総合補給廠は、旧日本陸軍の戦車や砲弾を作る「相模陸軍造兵廠」だったが、敗戦後の1949年、駐留軍に接収された。米陸軍の主要補給基地として東洋一の規模となり、一時は日本人約5000人が働いていた。

ベトナム戦争当時、修理され、再びベトナムに送り出される戦車を相模総合補給廠のゲート前で政党関係者や労働組合員らが体を張って止める「戦車闘争」が繰り広げられたベトナム反戦運動のシンボルでもあった。

現在は196・7ヘクタールもある広大な敷地に、老朽化した倉庫群や修理工場が建ち並ぶものの、フェンスの内側は閑散としている。夜にもなれば、JR横浜線相模原駅からひとつ隣の矢部駅へ向かう線路の北側一帯は、真っ暗な闇の中に沈むのだ。

相模総合補給廠は、一般市民にとって「駅に隣接した最後の一等地」でありながら、「市街地を分断する障害物」としか見えないとしても不思議ではない。

相模総合補給廠の返還地および返還要求地(相模原市HPより)