「密約」はあったのか? 桑田と清原「涙のドラフト会議」を語ろう

「プロ野球最大のミステリー」の真実
週刊現代 プロフィール

得津 実は、ドラフト後の12月、桑田から電話がかかってきた。弱った様子で「僕はどうしたらいいんでしょうか」というので、私の自宅に泊まりに来させたんです。

相当悩んでいる様子でした。学校の友達がみんな清原の味方で、すっかり居場所がなくなっていた。「苦労したから、お母さんやお姉さん、弟を大切にしたいんです」。

そんなことを女房に漏らしていた。冷静な子ですから清原と違って表には出さないけれど、心の中では桑田もまた、涙していたのだと思います。

城島 もし、桑田が「僕も巨人ならプロへ行きたい」とドラフト前に語っていたら、すべての印象が変わったのにと、改めて思います。

得津 進学するにしても、ある地元の有力者が支援を申し出ていて、プロ入り後に返済する手はずになっていたと聞いています。

いずれにしろ、確かなのは、二人の運命を決めたのは大人たちの熾烈な情報戦であり、ピュアな高校生だった二人は、そこに巻き込まれただけだったということです。後輩が大人の思惑に翻弄され、世間の好奇の目にさらされるのは本当に気の毒だった。

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坂井 ただ、清原が巨人ではなく西武に来てくれたことは、本人にとっても良かったと今でも思っています。

ドラフト後、心がボロボロになっているであろう清原のためにしばらく冷却期間をおき、入団交渉を始めたのは年末になってからのことでした。

巨人への憧れと裏切られた愛憎で頭がいっぱいだった清原に、私は「日本一になって巨人を見返せ」と、心に火をつけました。そして、彼は見事に期待以上の活躍を見せてくれた。

城島 入団1年目で31本を打って新人王。2年目には日本シリーズで、憎き王・巨人を倒した。シリーズ最終戦で流した涙は、ドラフト会見での涙と重なりました。

得津 最近、清原が出した著書を読んでも、まだあのドラフトを引きずっている様子です。

でも、入団当時の状況を考えてみると、巨人のファーストには中畑清がいて、'84年にはキャリアハイとなる31本塁打を打っている。いくら清原といえども、シーズンを通じて1年目からレギュラーを張れたかといえば疑問です。

その点、西武に行ったからこそ、1年目からあれだけの成績を残して、才能を見せつけることができた。

 

坂井 私が西武を去った後の'97年、清原は巨人へのFA移籍を決めました。

「ああ、まだ憧れていたんだな」と思うと同時に、個性よりも規律を重んじる球団に移ることが心配でならなかった。その後の彼の人生を見ていると、あの選択は正しかったのかどうか……。

城島 巨人への思いをいつまでも断ち切れない「一本気」というか、少年のような「純粋さ」は、清原の魅力でもあり、危うさでもありました。

得津 私からすれば、清原も桑田もかわいい後輩です。無邪気だったころの素朴な表情は、今も忘れられない。ドラフトの経緯や、その後のいきさつを抜きにして、幸せな人生を歩んでくれることを願っています。

坂井保之(さかい・やすゆき)
33年、山口県出身。早大中退後、外資系勤務を経て'70年、ロッテオリオンズ入社。西武ライオンズ、福岡ダイエーホークス球団代表を歴任
得津高宏(とくつ・たかひろ)
47年、和歌山県出身。PL学園、クラレ岡山を経て'66年に東京オリオンズ(現ロッテ)入団。'82年に引退後は同球団スカウト、打撃コーチを歴任
城島充(じょうじま・みつる)
66年、滋賀県出身。ノンフィクション作家、びわこ成蹊スポーツ大学教授。スポーツを中心に執筆。著書に『拳の漂流』『ピンポンさん』など

「週刊現代」2018年11月3日号より