相場で失敗した講談社創業者が、新事業を始めた驚くべき熱意

大衆は神である(26)
魚住 昭 プロフィール

あなたが実にご熱心なので

清治は発行元になってくれそうな社を探し歩いた。博文館、内外出版協会、至誠堂、東京堂など名のある版元を次から次へと訪ね、この雑誌の有望さを説いた。しかし、どこに行っても断られた。素人の雑誌においそれと乗ってくる社はなかった。

翌年1月、困り果てた清治は公衆電話の電話帳でたまたま見つけた銀座1丁目の大日本図書株式会社を訪ねた。

清治は名刺を出して面会を求め、2階の応接室に通された。ただもう言おうとすることで頭が一杯だったので、帰るとき気がついたのだが、外套をぬぐのさえ忘れていた。テーブルに向って腰をかけ、あたりを見廻すと、大きな書棚があって、その中に新刊書がぎっしり詰まっていた。

 

ほどなく入ってきたのは物腰の柔らかな中年紳士、支配人の村田五郎だった。

「どんなご用件で?」

と微笑みながら、村田が椅子に腰を下ろした。清治は堰を切ったように話しはじめた。村田は黙って聞いていたが、聞き終わると、「それでは、少々お待ち下さいませんか」と言って応接室を出て行った。

それからどれほど時間がたったか、清治は覚えていない。村田が再び入ってきて言った。

「よろしゅうございます。数日間考えさせていただきます。その原稿も、お差し支えなかったら、それまでお借り申しておきたいのですが……」

数日後に大日本図書から『雄弁』の発行を引き受けると返事があった。村田は言った。

「あなたが実にご熱心なので、それに感心させられましたし、見せていただいた原稿もたいへんおもしろそうです。法科の先生の演説は世間の熱望でもあり、私の社のほうからいっても、この雑誌はぜひやってみたい」

大日本図書は教科書を主とした出版社で、『帝国文学』や『丁酉倫理講演集』といった雑誌も出していたので、東京帝大文科大学の教授たちとは縁が深かった。『雄弁』を発行すれば法科大学の教授たちとも関係を深めることができる。そんな思惑もあったらしい。

清治と大日本図書の間で契約が交わされた。編集は清治側が行う。営業上のことは大日本図書が一切負担し、保証金の供託や印刷、広告などすべてを引き受ける。清治は編集料として1000部発行ごとに30円を受け取る。5000部出れば150円、1万部だと300円になる。

(つづく)