2018.11.14
# フェミニズム

男たちはなぜ「上から目線の説教癖」を指摘されるとうろたえるのか

マンスプレイニングという言葉の持つ力
北村 紗衣 プロフィール

やたら生産的な接頭辞「マン」(man-)

「マンスプレイニング」が広まった後、英語では「マン」(man-)という接頭辞が流行るようになった。

もともとman-〇〇という言葉は英語に多くあるが、“man-made”(マンメイド、「人工の」)とか“manpower”(マンパワー、「労働力」)のように“man”が人間一般を指す場合が多い。“man-mad”(マンマッド、「男に夢中の」)のように「男」を指すこともないわけではなかったが、「マンスプレイニング」の接頭辞「マン」には、所謂「男子文化」的なもの、つまり男性の行動における「あるある」を批判する含みがある。

この意味で接頭辞「マン」が使われる、代表的な単語をいくつか見てみよう。

〇man flu (マンフル)…man+flu (風邪)。オクスフォード英語辞典によると「症状をことさらひどく言い立てがちな男性が経験・報告する、風邪及びそれに類する軽い病気」のことで、「マンスプレイニング」より早い1999年が初出だ。

〇manspread (マンスプレッド)…man+spread (広げる)。公共交通機関で男性が足を広げて場所をとって座る行為を指す。

〇manterrupt (マンタラプト)…man+interrupt (話に口をはさむ)。男性が女性の話を最後まで聞かずに割って入ることを指す。一番有名な例は、2009年のMTVビデオミュージックアワードでテイラー・スウィフトの受賞スピーチに割りこんだカニエ・ウェストだ。

マンスプレッド〔PHOTO〕iStock

こうした新語には賛否両論があり、フェミニストでも男性をステレオタイプに扱っている感じがしてよくないと考える人もいるが、とくに男性からの反発が大きい。私が考えるに、おそらくその理由は、男性が皆そういうことをしているから、ではない。

こういう言葉が男性をぎょっとさせるのは、接頭辞“man-”が「男性の」、もっと言えば「男子文化の」という意味で使われることが、今まで無徴だった男性を有徴にしてしまうからだ。

 

有徴と無徴?

有徴と無徴というのは難しい言葉だが、非常にざっくり説明すると「しるし(徴)」の有無のことで、しるしがあるかないかでデフォルトか例外かが区別される、という話だ。たとえば「作家」に「女流」というしるしがついた「女流作家」という言葉はあるが、「男流作家」はない。この「作家」が無徴、「女流作家」が有徴だ。これには「女性」の作家は例外的だ、という発想がひそんでいる。

けっこうな数の言語では、男性がデフォルト人類だ。英語の“man”は「人間」と「男性」両方を指す。日本語でも、「住民は妻や子を連れ避難した」という時、無意識にこの「住民」がおそらく男性だ、という発想が働いている(「住民は夫や子を連れ避難した」とはあまり言わない)。男性がデフォルト人類で、女性が例外なので、言葉にしるしをつけて示すわけである。私たちが普段使う言葉にすら、女性を例外と見なす性差別が働いている。

関連記事