# フェミニズム

男たちはなぜ「上から目線の説教癖」を指摘されるとうろたえるのか

マンスプレイニングという言葉の持つ力
北村 紗衣 プロフィール

言葉の歴史をひもとく

この言葉についてはいくつか誤解がある。まず、ソルニットが2008年4月13日に刊行した「説教したがる男たち」のエッセイにこの言葉が出てくると思っている人が多いが、それは違う。男性が説教したがる現象を問題化したのはこの文章だが、本文に「マンスプレイニング」という言葉は出てこない。

ソルニット自身、のちに「私が考え出した語だと言われることもあるが、実はまったくかかわっていない」(『説教したがる女たち』、p. 22)と、少し居心地悪そうに述べている。オクスフォード英語辞典によると、「マンスプレイニング」の確認できる一番古い用例は2008年5月21日にネット上で使用されたものだ。

 

さらに、相手のほうがよく知っている可能性が高い事項について男性が女性に説教したがる現象に対する批判は、昔からある。

奴隷解放活動家でフェミニストだったソジャーナ・トゥルースは、1851年にオハイオ州アクロンの集会で「私は女ではないの?」という有名な演説を行った。トゥルースはこの演説で、差別されているアフリカ系アメリカ人女性の境遇を知らない男性が、女性について偉そうなことを一般化して言うのをチクリと批判している(荒このみ編訳『アメリカの黒人演説集』岩波文庫、2009年、p. 47)。

ソジャーナ・トゥルース〔PHOTO〕Wikimedia Commons

アメリカの女性参政権運動家だったキャリー・チャップマン・キャットも、1917年に行った演説で、アルザス=ロレーヌの帰属をめぐって地元民の意見がないがしろにされているという時事問題を引き、民族問題同様、女性参政権についても「女性にとって何がよいことか、女性よりもよく理解しておいでだという」人々がアメリカにもいるという皮肉をかましている。

フェミニズムは長きにわたり、男性のほうが女性自身よりも女性のことをよく知っているので、女性は男性の言うことを聞くべきだ、という考えに抵抗してきた。

こうした考えの背景には、女性は男性より劣っているから、自分自身のことについてきちんと判断ができない、という偏見がある。

これは女性に限らず、アメリカのアフリカ系アメリカ人や先住民とか、宗主国から見た植民地の人とか、ある社会で相対的に弱いほうに置かれた人々に対して、力のある人々が自分たちの支配を正当化するためによく使うレトリックだ。自分たちは判断力のない人々を保護してやっているのだ、というわけだ。

この考え方のせいで、歴史的に女性は教育から閉め出され、財産や参政権や仕事を奪われ、自分の健康や性について知ることもできなかった。フェミニズムは、力を持った男性の保護者ぶった態度と古くから戦ってきた。

じゃあ「マンスプレイニング」は別に目新しくもなんともないのか…と思うかもしれないが、昔から存在する現象に名前がついたのがポイントだ。ソルニットのエッセイや「マンスプレイニング」という新語は、ぼんやりと存在はしていたが、明確に言い表されてはいなかったものをはっきりさせた。

なんとなく気付いていたことでも、言葉にすると事態が変わる。良い例が「セクシュアルハラスメント」だ。この言葉が英語で初めて使われたのは、オクスフォード英語辞典によると1971年だ。

しかしながら、古い記事でも現代語のキーワードで検索できる読売新聞データベース「ヨミダス歴史館」を使って「セクハラ」を検索すると、一番古い記事では1878年1月23日に、夫の上司から性的嫌がらせをされて困っている妻の話が出てくる。現代語のセクハラに相当することで困っている人は昔からいたが、一語でその現象を指せるようになったおかげで、そうした行為には問題があると知られるようになった。

「マンスプレイニング」は一聴したところチャラい新語だが、実際はソジャーナ・トゥルースやキャリー・チャップマン・キャットなどの先人の苦労に満ちた歴史を背負っている。ソルニットは性暴力や中絶について知ったふうな口をきく男たちのこともとりあげているが、説教したがる男たち現象は「とるに足らないように見えても実は重大なことにつながっている」(『説教したがる男たち』、p. 23)のだ。