高倉健、菅原文太…、70年代のスターたちはなぜ魅力的だったのか

鶴田浩二、三國連太郎 、田宮二郎ほか
週刊現代 プロフィール

飢えた眼をしていた

鶴田、佐分利、山村が役柄によって表情を変える「演技巧者」なら、どんな役柄でも自身のキャラクターを貫き通した「ザ・スター」が高倉健('14年没、享年83)だろう。

『日本侠客伝』『昭和残侠伝 』など東映任侠映画で一躍スターダムに駆け上がり、唯一無二の国民的俳優の座を摑んだ。

『祝祭の日々 私の映画アトランダム』などの著書がある映画評論家の高崎俊夫氏が言う。

「晩年の健さんは『鉄道員』に代表される、いわゆる『ヒューマンな人』というイメージが定着しましたが、健さんの真の魅力は東映時代にあると思います。任侠映画はもちろん、東映の末期に出演した'75年の『新幹線大爆破』も良かった。

健さん演じる町工場の社長・沖田が不況に追いやられ、身代金目当てに新幹線に爆弾をしかけるという荒唐無稽な話ですが、一本気な健さんの演技に魅せられて、沖田に深く移入してしまう。アウトローこそ健さんの真骨頂でしょう」

その高倉とともに東映のブームを牽引したのが菅原文太('14年没、享年81)だ。

「健さんは自己抑制の利いた人でしたが、文ちゃんはまさに正反対で非常にオープンだった。健さんはポツンと立っているだけで絵になる『一輪挿し』のような人ですが、文ちゃんは、人がごちゃごちゃいるところで息巻いている姿が似合っていた」(前出・日下部氏)

 

「山守さん……弾はまだ残っとるがよう……」
代表作『仁義なき戦い』のラスト、菅原が金子信雄演じる組長の山守にドスの利いた声で放つ一言は、映画史に燦然と輝く名ゼリフだ。

「文ちゃんは決してうまくはないんだけど、ああいう照りつけるような『男の殺気』は実に見事でした。とにかく眼の光り方が全然違う。輝いているというより飢えてギラギラしている感じです」(前出の中島氏)

'60年代まで、爽やかな二枚目青春スターとして映画で活躍していた杉浦直樹('11年没、享年79)は'70年代に入ると一転、中年の哀感を漂わせてホームドラマに欠かせない存在となった。

杉浦の名演で真っ先に思い出すのが、ドラマ史に残る傑作『岸辺のアルバム』(TBS系)だろう。ハッピーエンドで大団円を迎えるというホームドラマの常識を覆した本作で、杉浦は家庭を顧みないうちに妻(八千草薫)に浮気されてしまう男の悲哀を熱演した。

「杉浦さんは立ち姿からしてハンサム。真面目でスマートな印象が強く、ビジネスマンを演じるのにピッタリな人です。それだけに、妻の不貞を知った後の目を見開いて怒りながら唇を噛みしめ、必死に怒りを鎮めようとする表情が強い印象を残しました」(上智大学教授の碓井広義氏)

杉浦とは逆に、テレビから映画に進出し、高い評価を受けたのが緒形拳だ('08年没、享年71歳)。

新国劇で鍛え上げられた演技力を武器に、大河ドラマ『太閤記』や『必殺仕掛人』(TBS系)で知名度を高めたのち、『鬼畜』『復讐するは我にあり』と名作映画で立て続けに主演を務めた。

『鬼畜』のラスト、一度は手にかけた息子の足元にすがり、「勘弁してくれ、勘弁してくれ!」と大声を上げて咽び泣くシーンは記憶に残る熱演だった。

「男は仕事に命をかける」という価値観がまだ美徳とされていた時代、緒形のように演技に全身全霊をかけて生きる役者たちがたくさんいた。

真っ先に頭に浮かぶのは田宮二郎('78年没、享年43)だろう。当たり役の『白い巨塔』(フジテレビ系)の主人公・財前五郎に対する田宮の思い入れは尋常ではなかった。

「幾度も映像化された作品ですが、原作の持つ雰囲気を忠実に体現したのが田宮版の財前でしょう。とりわけ、オペのシーンは印象的で、眉間にしわを寄せ、重々しい空気をまといながら執刀する様子は神々しささえ感じさせました」(前出・古崎氏)

ドラマの最後、財前はがんに倒れ不帰の客となるが、田宮はリアリティを出すために3日間絶食し、顔面蒼白の状態で撮影に臨んだという。

そして、ドラマの放送を2回残した'78年12月28日、田宮は自宅で自殺を遂げる。衝撃的なニュースを受けて、最終回の視聴率は31%まで跳ね上がり、結果的に多くの視聴者が田宮の最後の演技を目に焼き付けることになった。