奇跡的に残された、ある外交機密費史料が語ること

公文書管理が重要な理由
井上 寿一 プロフィール

機能しなかった機密費外交

以上の機密費外交はどのように評価されるべきか。

第一のインテリジェンス外交は十分な成果を上げることができなかった。諜報者からの情報は不正確なことが多く、信頼度も低かった。機密費外交の展開にもかかわらず、日中戦争を回避できなかったのは、インテリジェンス体制の確立が不十分だったからである。

第二の接待外交は「官官接待」による対軍部の感情の融和に一定の効果があった。しかし中国大陸における軍事的な勢力の拡大を抑制できなかったことは大きな限界だった。さらに接待外交によってもリットン調査団の報告書の公正で中立的な内容に影響を及ぼすことはできなかった。効果があったとすれば、日中関係修復のささやかな信頼醸成としてくらいのことだろう。

第三の広報外交は日本国内向けには効果があった。満州国を正当化する現地からの情報は、国民に影響を与えたからである。国際広報の方は中国との宣伝戦で劣勢を強いられた。日本の広報外交は国際世論を味方につけることができなかった。

要するに三つの機能を持つ機密費外交が十分に機能しなかったことによって、日中戦争は避けられなくなった。

 

政策決定過程の再現

それでも外交機密費文書の史料的な価値は高い。

外交機密費は領収書等をともなって、おおむね適切に支出されていたことが確認できる。諜報費であっても、一回の支出額は常識の範囲内だった。外交機密費はつかみ金ではなく、私的流用も困難だったにちがいない。使途が具体的で明確なことは外交への国民の信頼を生む。

史料が残っていたからこそ、誤解や憶測を排して、検証作業をおこなうことができる。

別の言い方をすれば、外交機密費の史料は、公文書管理の重要性を語りかけている。公文書管理法の主旨の一つは、あとから政策決定過程を再現できるように公文書を管理しておくということである。

外交機密費の史料が今日に示唆するところは大きい。