奇跡的に残された、ある外交機密費史料が語ること

公文書管理が重要な理由
今も昔も厚いベールに包まれ、闇ガネなどと言われることの多い機密費。そのなかで、奇跡的に残されていた外交機密費史料があった! 満州事変から日中戦争前夜までの領収書や、在中国公館と外務省本省のあいだの往復電報などは、何を語るのか。『機密費外交――なぜ日中戦争は避けられなかったのか』(講談社現代新書)の刊行を記念して、著者の井上寿一氏が機密費の実像に迫る。

人質救出のための領収書

シリアで武装勢力に拘束されていたフリーのジャーナリストの安田純平氏が解放され、10月25日に帰国した。なぜ解放されたのか。カタール政府が身代金を払ったからだ、日本政府はその身代金相当額をカタール政府に機密費で支払った、といった噂が絶えない。

官房機密費(内閣官房報償費)は使途の公表や領収書を提出する義務がない。外交機密費も同様である。身代金を機密費から支払ったとしても、それを客観的に証明することはむずかしい。真相は闇の中である。

ここに人質救出に要した経費を外交機密費で支出した領収書がある。時はさかのぼること1932(昭和7)年12月、満州事変が拡大していた。すでに満州国は成立していたものの、軍事的な安定にはほど遠かった。治安は悪かった。満州国の領域内で日中の戦闘がつづいていた。日本軍の相手は主に「匪賊」(中国のゲリラ軍)だった。

日本軍によって捕らえられた匪賊

吉林省の日本総領事館は外交機密費からつぎのような費目を支出している。「日満関係者謝礼宴」(12月1日)329円45銭。当時の1円=現在の約1800円で換算すれば、約59万3010円である。「人質救出功労者小越大尉外十三名招待」(12月29日)148円25銭=現在の約26万6850円、「匪賊居所との連絡使用人旅費」(12月21日)20円=現在の約3万6000円という費目もある。

これらの外交機密費の支出からつぎのようなことが起きたと推測できる。戦闘がつづく吉林省で、「匪賊」による在留日本人の監禁事件が発生する。「匪賊」側と接触を試みながらも、身代金を払うまでもなく、日本軍が中心となって人質の救出に成功した。

吉林の日本総領事館前

焼却されたはずの史料

なぜ外交機密費の史料が残っているのか。戦前の機密資料は焼却処分されたのではなかったのか。たしかに日本政府は1945年8月14日に閣議で、重要機密書類の焼却を決定している。

たとえば陸軍省や参謀本部があった市ヶ谷台ではこの日から数日間、機密書類が燃やされた。ところが1996(平成8)年4月、参謀本部が所在していた空地の地下約2メートルのところから大量の焼け残った旧陸軍文書が発見された。大急ぎの作業ではすべての機密書類の焼却はできなかったようである。

外務省の外交機密費関連の史料も外務省外交史料館所蔵の「満洲事件費関係雑纂」のファイルに残存している。このファイルの写真版史料集が2014年から翌年にかけて、小山俊樹監修・編集・解説『近代機密費史料集成Ⅰ 外交機密費編』全6巻+別巻(ゆまに書房)として公刊された。こうして満州事変期(1931~1936年)の外交機密費に関する往復電報や領収書を確認することができるようになった。

この史料集を読むと、機密費にもとづく外交(機密費外交)の実像が浮かび上がる。機密費外交は三つの機能(インテリジェンス・接待・広報)を持つ。