「最も有名な宇宙の法則」から自分の名を消そうとした科学者の苦悩

ルメートルはなぜ「無視」を望んだのか
三田 一郎 プロフィール
ルメートル(1933年撮影) Photo by Getty Images

では、なぜルメートルの名前は埋もれてしまい、ハッブルばかりに日が当たることになったのだろうか。

これについて、今回の名称変更を伝えるニュースの多くは、「ルメートルが膨張宇宙についての論文を発表したのはフランス語で書かれたマイナーな雑誌であったために注目されなかった」と説明している。

たしかにそれも間違いではない。しかし、そこにはさらに、当時の科学がはらむ深刻な問題が潜んでいたのだ。

実はルメートルにも、英語のメジャーな雑誌で発表する機会はめぐってきていた。

ハッブルの「発見」から2年後の1931年、英国の『王立天文学会月報』において、1927年のルメートルの論文の英訳を掲載することになったのである。一発逆転、自分こそが膨張宇宙の第一発見者であることをアピールする絶好のチャンスだった。

ところが、なんとその雑誌に掲載された英訳論文からは、肝心の膨張宇宙の発見について書かれた部分が、ごっそり抜け落ちていたのだ。そのことは、それから半世紀以上がたった1984年になって明らかになった。

いったい、誰がこんなことをしたのか。

英国王立天文学会は残っている当時の記録を徹底的に調べ上げて、「犯人」を探した。そしてついに、誰の仕業だったのかが突きとめられた。それは驚くべき人物だった。

 

驚くべき「真犯人」

ここで、ハッブルの名を思い浮かべた読者は少なくないだろう。彼には、膨張宇宙の第一発見者という名誉をルメートルにさらわれたくないという明確な動機がある。実際に、すでに没後ではあったが、ハッブルにも疑いの目が向けられたようだ。

しかし、彼は潔白だった。なんとこの事件の「犯人」は、ルメートル自身だったのだ。

論文の英訳は、ルメートルが自分でおこなった。彼が雑誌の編集者に宛てた手紙を調べたところ、このようなことを書いたものが見つかった。

〈すでに(ハッブルによって)発表されたことをもう一度載せても面白くない。かわりに新しい論文や引用文献を紹介したほうがよい〉

そのような理由でルメートルは、自身の発見についての記述を論文からすべて削除し、膨張宇宙の第一発見者であることを示すチャンスをみずから棒に振ってしまったのだ。

彼は後年、「ハッブルの法則」という名称は悔しくないのか、と尋ねられたときにも、こう答えている。

〈世間がそう呼んでいるのなら、それでいい〉

「2番では意味がない」といわれる科学の世界で、信じられない無欲さである。その理由は、彼の性格の謙虚さにもあっただろう。しかし、それだけではなかったと私は考えている。