なぜNHK「まんぷく」は、安藤百福の“台湾ルーツ”を隠したのか

好調ドラマが描かなかった物語
野嶋 剛 プロフィール

故郷も取材していたが……

安藤百福が生まれた場所は、当時「台南州東石郡朴子街」と呼ばれた。現在は地名変更で「嘉義県朴子市」になっている。日本の区にあたる朴子市の市役所を訪れると、市役所の盧春霖行政室主任が対応してくれた。

「『まんぷく』のことは知っています。その件で、つい先日、NHKの方がリサーチに来ました」と盧主任。朴子市のトップである王如経市長からは「私が育った家は呉百福さんの家の真向かいなんですよ」という話も聞かされた。

王市長と話し込んでいると、思わぬ来客が市長室に現れた。
「こんにちは、呉仁健といいます。呉百福(安藤百福)は私のおじです」

呉仁健さん(右)。左は王市長

呉さんは長く教育界で働き、校長まで務めた。市長からも「呉校長」と呼ばれる地元の知名人だ。呉さんはたまたま講座を聞くために市役所に来ているところ、「日本からメディアの取材が来ている」と言われ、私を訪ねてきてくれたのだ。血の繋がりのせいか、顔立ちがどこか安藤に重なる。

 

呉さんによれば、呉さんと安藤は遠い親戚にあたり、安藤より呉さんはひとつ下の世代で、いとこ甥にあたる。呉家の先祖は、1793年、中国大陸・福建省の漳州から台湾へ渡った。後日私のお願いで呉さんから送られてきた族譜(家系図)によれば、安藤の父親・呉阿獅には三人の息子がいて、安藤はその末っ子だった。

呉阿獅は早くに亡くなり、安藤は祖父・呉武に育てられた。

家系図

台湾にいたもう一人の夫人

「呉家はみんな『六脚郷更寮村』と呼ばれる場所に暮らしていて、呉百福の一家は私たちの家の隣に暮らしていました。といっても、彼とは一度も会っていません。彼の奥さんが暮らしていて、息子さんを育てていました。私などは奥さんにいつも可愛がってもらっていました。彼の家の前には楊桃(スターフルーツ)の樹があって、実をとって私たち近所の人間に配ってくれた優しい人でした」(呉)

安藤には、日本で仁子と結婚する以前に、台湾のふるさとで結婚している女性がいたのだった。彼女の名前は黄綉梅といい、すでに亡くなっている。

ここでいう「息子さん」は安藤宏寿のことで、のちに台湾から日本に呼び寄せられ、一時期、日清の社長に就任している。安藤は日本と台湾で家庭を持っていたことになるが、当時こういう形は珍しいわけではなかった。もちろん「まんぷく」では萬平にほかに家庭があった、という設定はなされていない。