ある日突然、恋人が「難民」となり、国を出て生き延び結婚するまで

いまだ続く「シリア内戦」の一側面
小松 由佳 プロフィール

激動の日々を経て日本で暮らす

2008年に出会ってから、ラドワンと私は互いに惹かれ合った。将来も約束していた。

だが内戦が起きラドワンは難民となった。半遊牧民として土地に生きてきた彼にとって、故郷を離れることは人生を失うことでもあった。

それはあまりに突然の境遇の変化だった。シリアの現政権が倒れない限り、再び故郷を踏めないのだ。厳しい現実に彼は失望を重ねていった。

「自分と一緒だと一生苦労する。君を幸せにできないかもしれない」そう肩を落とすラドワンは、かつて沙漠で生き生きとラクダを追っていた彼からはほど遠かった。

だが私たちは幾度も話し合い、互いの思いを確認した。そして共に生きることを決めた。私たちは目に見える特別なものは何も持たなかったが、相手への愛情と信頼とがあった。二人でなら凸凹道も歩いていける、そう固く信じた。

2012年5月、ラドワンがヨルダンに逃れて約1年、私たちは結婚した。その冬にラドワンは日本に来た。平和で安定した生活を目指して。

結婚生活はその始まりから、予想した通り苦労の連続だ。まず両親に勘当され、私も故郷の土を1年半踏めないという事態になった。またアラブ人でイスラム教徒であるラドワンに対し、知識の欠如からテロリストを連想する親族の誤解もあった。

ラドワン自身もアイデンティティの喪失や将来への不安に悩み、家族への強い思慕もあいまって心ここにあらずという状態が続いた。また食文化の違い、限られたイスラムコミュニティ、そして中東地域とは異なった労働観念にも苦しんだ。

 

それから6年。今、私とラドワンは東京郊外に二人の子供たちと暮らしている。

ラドワンは少しずつ日本の暮らしに馴染んできたものの、生活の問題は常に経済的な価値観の違いだ。ラドワン曰く、日本に来て知ったのは現金収入がなければ生きていけないことだった。

大家族で支え合って暮らしたシリアでは、一人ひとりが担う生活の責任が小さく、現金がなくても生活できた。彼が属していたのは、現金ではない価値に重きを置く文化だったのだ。

10種類ほど仕事を転々とした後、ラドワンは中古自転車をヨルダンに輸出する仕事をしている。彼がコンテナに積んだ自転車の一部はシリア人難民キャンプへ運ばれ、キャンプ内の移動手段として使われる。

ラドワンは考えている。自分が日本にいる意義は、シリアの人々の助けになることをここですること。それによって自分も人々も互いに豊かになること。仕事をしてシリア難民と繋がる。その道を彼は模索している。

「母親のように愛する祖国が内戦で崩壊していった。何もできずにそれを見守るしかなかったことが本当に辛かった。でも今は、難民となったシリアの人々のためにできることがある。それがめぐりめぐって未来のシリアにきっと繋がる」

沙漠で生まれ、激動の日々を経て日本に暮らすラドワン。彼との日々は安定からは遠く終わらないサバイバルのようだ。

だが彼は身をもって人間の生き様を示してくれる。

私たちは、日々を創造しながら受け入れてゆくしかないのだと。そして人間はどこにあっても自らのルーツを求め続け、その思いが今を生きる力になると。