“無敵”の菅官房長官は、なぜ沖縄の選挙だけ読みを外すのか

オフレコメモに見る政権「必敗」の理由
石戸 諭 プロフィール

米軍と目の前で対峙した

いまの沖縄をどう見ているのか、そしてこの県知事選で何が問われているのか。

《僕が沖縄戦こそ沖縄のアイデンティティだっていうのは、僕自身の経験とも関わっている。僕は1932年に宮古島に生まれて、戦争の時は小学生だった。

飛行場の建設に駆り出されて、トラックの荷台に乗って移動したんだ。お姉さんたちが軍歌を歌っていてね、夕日が沈む中で聴く軍歌はとてもきれいだった。

僕の戦争体験というのは終わったあとから始まるんです。琉球大学に進学して、本島(沖縄のこと)で軍作業(米軍の仕事)のアルバイトをやって稼ぐつもりだった。大学に行って勉強するつもりなんかなくて、とにかく仕事にありつこうとしたんだね。

いまの国際通りあたりもうろうろとしてとにかく仕事を探していた。そこで宮古の先輩に会って、こんなところでうろつくより琉大の学内のほうが求人がでているって教えてもらうわけ。

当時のこの辺?少し前の東南アジアの路地みたいだって言えば今の人にも伝わると思うんだ。食べ物もろくになくて、路地に座っている子供もいて……。いまのこんな様子はもう信じられないよね。》

終戦後すぐの沖縄の様子〔PHOTO〕Gettyimages

川満に印象に残った軍作業を聞いてみる。これも歴史的な証言だから話されたままを引用しよう。

《うん、それでいったら牧港の補給基地だな。ドアを開けると地下に降りる階段があって、米軍がたぶん戦場で着ていた穴だらけのオーバーコートを着せられる。次はタオルを首に巻けと言われ、最後に地下に降りたらさらに上着を着せられて(冷凍設備の影響で)寒い倉庫のなかに放り込まれて、ドアを閉めろと怒鳴り声がする。

白いガーゼに包まれた何かが天井まで積まれている。あぁこれは米兵の死体を洗浄して、本国に送るものなんだと思って怖くなったのですが、よくよくみたら牛肉の塊なんですね。牛肉を降ろして運ぶだけなんです。

確かに何枚もオーバーを重ねないと寒いし、冷凍された肉が刃物みたいだからちょっと引っ掛けるとすぐに切れてしまうんだ。自分の身を守るためでもあったんだね。》

やがて川満たちは1953年から米軍の土地の強制接収に抵抗する運動に乗り出すことになる。1955年には米兵によって当時6歳の女児が拉致された上、性的暴行を受けて殺害されるという事件が起きる。

時期をほぼ同じくして9歳の女子小学生が性的暴行の被害者になる事件も発生する。

米軍による圧政は土地の所有者だけでなく、沖縄社会全体での異議申し立てに発展していく。

《やっぱり土地を持っている島民は強いと思った。学生だった僕たちが土地接収に反対して農民と腕を組んで米軍に対峙していても、どこかで恐怖はある。でも彼らは米軍を前にしても、ぐっと力強く僕の腕を組む力を強めて毅然と振る舞うんだな。

観念で運動をしている僕たちとは違うんだ。》

 

「平和な日本」は幻想にすぎない

川満は地元紙「沖縄タイムス」に活躍の場を移す。そこで唱えた「反復帰論」は観念に対する批判だったとも言える。

彼に言わせれば、革新派は日本と沖縄は「同一民族」であり、平和憲法がある国家に復帰しようと喧伝している。しかし、実態はどうか。そんな理想を体現している日本という国家はどこにもない幻想にすぎない、と批判した。

《今の沖縄をみれば、僕の批判はそんなに大きく外れていないと思う。結局、沖縄の多くの人が望んだ日本に復帰すれば核も基地も無い沖縄になるというのは、幻想にすぎなかったわけです。

沖縄は多くの課題を抱えたまま復帰し、その後の歴史を積み重ねている。大きな構造は何も変わっていないではないですか。僕は沖縄の自立が必要だと言ってきました。沖縄自立論と呼ばれていますが、これも外れていないと思いますよ。

想像力をもって、自立への道を考えることで今の社会に足りないものが見えてくるのです。つまり沖縄はどうありたいのか。すぐには変わらないけど、自立の道を探るしかないと僕は思っているんだ。》

川満は本土と沖縄という構図にはあまり意味がないと言った。沖縄にきて運動に参加せずに沖縄を語るなという主張にも賛同しないと言った。

ただ泡盛を傾けながら言ったのは、「沖縄戦こそが沖縄のアイデンティティ」であること、「沖縄を考える時に資格はいらない」ということだった。

宴席は進み、せっかくだからということで居酒屋の女将から特別に50年ものの古酒を飲んでみなと勧められた。同じ泡盛でも飲み比べた8年ものにあるトゲがまったくない。まろやかで角がなく、それでも熟成された香りはしっかり残っている。

反復帰論、と似ているなと思った。当時は先鋭的な批判だったが、歴史のなかで思想は熟成し、本質だけが残る。川満らが突きつけた問いは2018年の今になっても沖縄に残っている。

翁長らオール沖縄が訴えた「沖縄をなめるな」という声と響きあいながら、自立を探る思想の確かな痕跡として。