“無敵”の菅官房長官は、なぜ沖縄の選挙だけ読みを外すのか

オフレコメモに見る政権「必敗」の理由
石戸 諭 プロフィール

沖縄の日本復帰を先導したのは、屋良朝苗知事を中心とした革新だった。保守派の「復帰時期尚早・基地容認」に対し、屋良らは「民族統一、即時復帰・基地反対」を唱えた(櫻澤誠『沖縄現代史』中公新書、参照)。結果として沖縄県民は後者を支持する。

復帰に反対する川満たちは、戦後日本とは一体どのような国家で、復帰によって沖縄の置かれた状況は変わるのかを問おうとした。

彼自身の言葉で言えばこうなる。

《あなたの質問に答えればね、沖縄のアイデンティティというのは「沖縄戦」しかないと思うんだ。沖縄戦に至るまでの歴史、そして、沖縄戦後の歴史こそアイデンティティだ。

僕たちがやろうとしたのは、戦前の天皇制教育についてね。そして、天皇制教育を受けてきた人たちが、戦後の日本では民主主義とか言っていることの違和感、そして本当に反省しているのかという疑問だった。

日本という国家がいったいどういうものなのか。

祖国とか母の懐へ帰ろうといった言葉があの時の復帰運動にはついて回った。

僕はそういう叙情的な言葉で国家を語るのは違うんじゃないかと言ってきた。復帰すれば、革新は本土の革新につながるだけ、保守は本土の保守につながるだけ、組合は本土の組合とつながるだけだって言ってきた。それは沖縄が「日本」になるというだけで、基地も何もかも問題は残ったままになるよ、と言ってきたんです。》

「『反復帰論』は、復帰論に対する単なる独立論ではなく、日本という国家に復帰するとはどういうことなのかを捉え直す試みであった(中略)現在にいたる、沖縄における大きな思想的潮流の一始点となる」(櫻沢前掲書)

 

豊かさへの思いが利用される

沖縄を思想的な課題として問い直し、日本という国家に何を問いかけるのか。本質的な問いを投げかける川満ら「反復帰論」の論考を最も精力的に取り上げ、彼らの主張を受け止めたのは中道派の論壇誌「中央公論」だった。

革新派に近い進歩的文化人が集う岩波書店の「世界」以上に、リアリズム路線を取っていた中央公論が注目しているというのは興味深い事実だ。

特に日本復帰を果たした1972年6月号特集「現地編集 沖縄思想と文化」は圧巻の出来だった。

「5月15日――。いま、なぜ沖縄を思想として問うのか。日本の『国家』に対して、沖縄は何を語りかけるのか。沖縄の執筆者陣による必読の大特集!」とのコピーで、川満らが編者を務めた座談会や論考が15本+沖縄経済についての論考が1本が掲載されている。

座談会のなかで川満はこんなことを言っている。

「人々がより豊かで、より強くありたいと求めることはごく一般的なあり方だと思う。そこで問題は、仮に本土を自分たちの幻想の中でウフヤマトゥ(大きな大和)という豊かなものとしてとらえ、そこへ同化することによって自分も豊かになれるという幻想を持ったとした、それは否定すべきものとはいえない」

沖縄が日本に復帰することで経済的に豊かになると人々が願うこと、それ自体は否定すべきではない。ただし、と川満は言う。本当の問題は、豊かさへの願いを日本という国家が逆に利用して、さらなる支配の構造のなかに沖縄が組み込まれてしまうのではないか。

人々が持っている豊かになりたいというエネルギーに改めて焦点を当てるべきではないかと問うのだ。

今、読んでもかなり先進的な視点である。沖縄の歴史は基地問題に焦点があたるときは革新派が政権を取り、経済的な豊かさを願うとき保守派が政権をとった。その構造を見越して日本政府は基地の受け入れと見返りに多額の予算をつけ、反対するときは予算を減額し、経済問題を争点化した。

いくら民意を示しても、構造を利用して日本政府が揺さぶりをかけてくるのが沖縄の歴史とも言えるからだ。