“無敵”の菅官房長官は、なぜ沖縄の選挙だけ読みを外すのか

オフレコメモに見る政権「必敗」の理由
石戸 諭 プロフィール

すれ違う菅と翁長の歴史観

菅は何を見誤っていたのか。葬い? それもあるだろう。翁長人気? それも多くの要因の一つだ。では、葬いや人気の背景には何があるのか。手がかりになるシーンが任期中に逝った翁長の手記『戦う民意』(角川書店)に残っている。

2015年8月――。基地移設をめぐる会談のため翁長と菅は那覇市のホテルにいた。翁長は向かい合った菅に沖縄が歩んできた歴史への理解を求めた。

「沖縄県民には『魂の飢餓感』があるんです」

翁長は沖縄戦、それ以降の歴史を振り返り大切な人や生活を奪われ、さらに差別によって尊厳と誇りを傷つけられてきた沖縄の歴史をそう表現した。

しかし、翁長の証言によれば、いくら歴史を語っても菅は応じなかったという。

「私は戦後生まれなものですから、歴史を持ち出されたら困りますよ」

そして、会見でも翁長に対してこんなことを言っている。

「(翁長の)主張には賛同できない。戦後は日本全国悲惨な中で、みんなが苦労して平和で豊かな国を作り上げてきた」

発言を聞きながら翁長は思う。沖縄の歴史を言えば言うほど「異端扱い」されることにはなんとも言えない寂しさがある、と。

翁長雄志前県知事〔PHOTO〕Gettyimages

沖縄は1879年に日本に併合され、1952年に日本から切り離されアメリカ統治下に置かれ、1972年に日本復帰する。

この間、沖縄戦があり人々が生活していた土地は奪われ米軍基地になっていく。沖縄戦での県出身の戦没者の数は実に12万人以上である。当時の人口で4人に1人が亡くなっているのだ。

そして日米安保、日米同盟の負担は、ほんの40数年前まで「日本」ではなかった沖縄に集中する。

土地は米軍に強制的に接収され、いまなお沖縄本島の15%は米軍基地である。これは東京23区のうち、実に13区がすっぽり覆われるほどの面積になる。新宿区、渋谷区、文京区、千代田区、港区などがすべて基地になっていると思えばいい。

「お互い別々に戦後の時を生きてきたんですね。どうにもすれ違いですね」

翁長は日本で唯一、凄惨な地上戦が展開され米軍基地が集中している沖縄の歴史に思いを馳せてほしいと語ったのに、菅は日本全員が苦労してきたのだと返す。噛み合わない議論はいつまでも平行線のままだったという。

 

ここまでの議論から菅が見誤ったものがわかる。それは沖縄の歴史だ。歴史の文脈を欠いたまま、「政府の論理」で「沖縄の民意」を語ったところに、菅の読み間違いがあった。

選挙戦中、翁長が叫んだ言葉を玉城もまた叫んでいた。

「うちなーんちゅ、うしぇーてぃないびらんどー」

沖縄をなめるんじゃない、と。

「反復帰論」が予見していたもの

何より歴史を重んじるはずの保守政権の中枢が歴史を軽視する。それを沖縄を代表する保守政治家である翁長が嘆き、「イデオロギーよりアイデンティティ」が選挙スローガンとして力を持ち、沖縄をバカにするなという声が高まっていく。

これが現実である。では、沖縄のアイデンティティとは何だろうか。

ここで、もう一つ別の立場から沖縄の歴史を見ていく。私は9月末、1960年代後半〜70年代の沖縄で唱えられた「反復帰論」の理論的支柱に会った。元沖縄タイムス記者にして、詩人の川満信一(かわみつ・しんいち)である。

那覇市の繁華街、国際通りの一角にある小さな居酒屋を待ち合わせ場所に指定した川満は80歳をとうに超え、緑内障の手術をしたばかりだった。彼は朗々と詩を吟じるかのように自身の歴史と沖縄の歴史を重ねて語ってくれた。

川満が中心になった反復帰論は単なる「論」を超えた思想的な運動であり、復帰を急ぐ革新陣営への本質的な批判だった。