アウシュヴィッツは「ホロコーストの代名詞」か?

惨劇を理解するための5つのポイント
田野 大輔 プロフィール

なかでも最大の犠牲者を出したのが、2日間で3万人以上のユダヤ人を殺害したウクライナのバビ・ヤールでの虐殺である。

だがこうした大量射殺はきわめて非効率で、執行者の精神的負担も大きく、不必要に残虐なものと考えられた。

そこで別のもっと効率的で負担の少ない殺害方法が検討され、いくつかの実験をへて、最終的に排気ガスによる方法が採用されることになった。

これは1939年9月のポーランド侵攻後、占領地域およびドイツ本国ではじまっていたいわゆる「安楽死」作戦(コードネーム「T4」)の技術を踏襲したものだった。

この作戦では「生きるに値しない命」とされた障害者を殺害するのに主に排気ガスが用いられたが、1941年8月に作戦が中止されたのと入れ替わりに、同じ技術がユダヤ人の殺害に利用されるようになったのである。

まず開発されたのは移動式のガストラックで、荷台に乗せた人びとを排気ガスで殺害する設備を備えていた。このガストラックはソ連占領地域で射殺と並行して運用された後、1941年末にポーランド西部に設立されたヘウムノ絶滅収容所に導入された(ただしこの収容所はまだ実験的性格が強かった)。

次に登場したのが固定式のガス室で、1942年前半にポーランド東部の総督府に建設された3つの絶滅収容所で殺戮に用いられた。しかも注目すべきことに、その建設では「安楽死」作戦に従事したスタッフが中心的な役割を担っていた(なおアウシュヴィッツでは排気ガスのかわりに殺虫剤ツィクロンBが用いられた)。

 

こうして殺害技術が段階的な進化をとげ、ユダヤ人殺戮の効率を飛躍的に高めることになった。ホロコーストの中核をなす3収容所は、移住政策の破綻と殺害技術の新機軸の悪魔的な出会いの産物だったのである。

⑤ホロコーストは「行き当たりばったり」の結果だった

アウシュヴィッツでのユダヤ人の組織的・機械的な殺戮は、それがあたかも明確で綿密な計画の産物だったかのような印象を呼び起こしがちである。

だが以上で見てきたように、ナチスのユダヤ人政策は当初から一貫して大量殺戮をめざしていたわけではなく、むしろ状況の変化に応じて軌道修正をくり返しながら、徐々に絶滅政策へと近づいていったのだった。

ホロコーストの展開がかくも行き当たりばったりなものになったのは、何といっても戦争の帰趨によるところが大きい。

もっともそうした紆余曲折のどの段階でも、ナチスがそのつど直面する問題を「合理的」に解決しうる方策を選択していたことを見逃してはならない。

物理的抹殺の選択でさえ、ユダヤ人の排除という目標に対する最も実現可能で効率的な方策だったといえる。

方針が決まってしまえば、後はもうこれをいかに実現するかの問題だった。そのための最も適切な手段として選択されたのが、ガス室を備えた絶滅収容所にほかならない。

さらにまた、ユダヤ人の排除は戦争の目的と衝突しないどころか、戦争の目的そのものでもあった。「東方」に獲得されるべき「生存圏」には、ユダヤ人の存在の余地はなかったからである。

それゆえ戦争の勝利が遠のき、領土の拡大が見込めなくなったとき、本格的な大量殺戮がはじまったのも偶然ではない。それは戦争の目的における優先順位の変更であり、別の形での戦争の継続でもあったのである。

ホロコーストを理解するための鍵は、そうした目的と手段の関係における「合理性」をどうとらえるかにあるといえるだろう。