人類史全体をダイナミックに再考する「アフリカ史」の試み

『新書アフリカ史』大改訂への想い
宮本 正興, 松田 素二 プロフィール

絶望から希望へ、希望から絶望へ

この20年間に現れたアフリカ現代社会のダイナミズムを表す言葉は、「変貌」あるいは「変質」である。

1990年代は確かに「絶望の時代」ではあったが、本書はそのなかにアフリカの希望を見出そうとしてきた。

そのささやかな希望の兆しを象徴していた人や制度が、この20年のあいだに新たな絶望を生み出したケースは少なくなかった。

もちろん人や制度自体が変質しても、初期の希望を創り出した人々や社会の力は新たな希望の兆しを創りつづけていることは間違いない。1990年代のアフリカの希望を体現していたのは、たとえば1980年代にゲリラ戦争を経て祖国を解放したヒーローたちの政治であった。ジンバブエのムガベ大統領やウガンダのムセベニ大統領などだ。

しかし両大統領ともに、政権を掌握して以降、長期間にわたってその職にとどまり、強権的な政治で批判・対抗勢力への弾圧を繰り返してきた(2017年、ムガベ大統領は与党ZANU-PF内の反対派と軍部によって退陣を余儀なくさせられた)。

あるいは抑圧されてきた南部スーダン民衆に依拠して苦しい武装闘争を続けてきたスーダン人民解放運動(SPLM)やアパルトヘイト体制打倒の要となり戦い抜いてきたアフリカ民族会議(ANC)も同じように変貌したといえるかもしれない。

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SPLMは南スーダンの独立を勝ち取ったが、その後、2013年以降、政権内部の民族対立を背景に相互に大量の民衆を虐殺する内戦に突入し、停戦・和平・再戦闘という悪循環を繰り返している。

また民族自立、地方分権のニューモデルと言われたエチオピアは、それに従って独立したエリトリアと戦争を開始し、10万人以上の犠牲者を生み出した。絶望の中の希望が新たな絶望に変質していくかのようだ。

こうした変質は、アフリカの指導者の個人的資質やアフリカ的特質だけに還元すべきではない。それを可能にする、あるいは利用する仕掛けや仕組みが、グローバル・ポリティクスのなかにセットされていることが多いからだ。

「新しい世界史」としてのアフリカ史

「改訂新版」の第2の特徴は、現代社会におけるアフリカ史の意義・意味にかかわることだ。初版において、『新書アフリカ史』の基本姿勢として、これまで「アフリカに歴史はない」としてきた「負のアフリカ認識」の超克と、そのための「ニューヒストリー」の方法の採用を掲げた。

その内容は、政治史偏重から人間活動全体へ、事件分析から構造分析へ、上からの視点から下からの歴史へ、文字史料偏重から多様な史料の活用へ、などといったものだ。

それに加えて本書のアプローチの独創性として、アフリカ地域内のダイナミックな交流を描くための「5つの川世界」の導入による諸民族の移動と交流を軸としたアフリカ史のダイナミズムへの注目、外世界との交流を描くための「インド洋」「大西洋」「サハラ砂漠」を越えたグローバルな地域間交流の重視、さらには、近代以降のヨーロッパとの接触におけるアフリカ人の「抵抗と主体性」の重視(それと同時にその教条化への自省)を基本的枠組として設定した。

それは一言でいえば、独自で自律した「アフリカ史」を新たに構築することで、これまでの歴史(世界史)叙述を支配してきた、西欧近代主導の視点を相対化する試みであると同時に、近代日本社会が採用してきた西洋史と東洋史という世界(人類)史の二分構成をも乗り越えようとするものだ。

これらの姿勢については、「改訂新版」においても発展的に継承され、より積極的に展開されている。

またこの20年のあいだに、歴史学のなかに「ニューヒストリー」とは異なる観点から新たな世界史をとらえる視角が登場している。それは、グローバル・ヒストリーや「新しい世界史」といった歴史認識である。

たとえばグローバル・ヒストリーでは、近代以降の国民国家単位の歴史記述を超えて、陸域・海域世界といった空間の連続的な広がりに着目し、究極的には非ヨーロッパ世界の歴史に注目することを通してヨーロッパ世界の相対化をはかろうとする。

「新しい世界史」はさらにラディカルに、一国・地域の範域、陸域あるいは海域といった「領域」自体の想定を歴史の前提とする発想を批判して「地球市民」による「地球社会の世界史」を展望しようというのである。

とすれば、これは「アフリカ」という「領域」を前提にした歴史、つまり「アフリカ史」という枠組みをも否定するものでもある。

なぜなら「アフリカ史」という発想もまた、限られた閉じた領域を単位として自己と他者を二分するという点で、旧来の歴史認識を踏襲しており、地球市民の帰属意識創出を妨げる役割を果たすことになってしまうからだ。

この意味では、本書が描こうとしている「アフリカ史」が、従来の西洋史と東洋史という世界史の二分構成の媒介項、いやむしろ真にグローバルな世界全体史の統合の力となって、やがては壮大な一つの人類史に昇華するものでもあることを願わずにはおれない。