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自然法の概念を知らずに憲法を語るのは、こんなに危険だ

橋爪大三郎の「社会学の窓から」④

なぜ日本人は西欧の哲学を理解しにくいのか

西欧の哲学や、思想や芸術を、日本人はいまいち理解できない。

その原因のひとつは、「ネイチャー」をよくわからないことだ。

これは奥行きの深い問題なので、じっくり掘り下げてみよう。

まず、ネイチャー(nature)。キリスト教では、Godがこの世界を「造った」と考える(『創世記』参照)。天も地も、山も海も、植物も動物も、人間も。Godに造られたものを、被造物(creature)という。造られたのだから、造ったGodの所有物。よって人間は、造り主であるGodの言うことを聞かなければならない。

ネイチャーは、Godの造ったそのまんま。「神のわざ」である。おおよそ、日本語の「自然」に重なる。これに対して、人間の活動がうみ出したものは、カルチャー(culture)。「人のわざ」である。もとは、土地を耕す、という意味だった。


さて「ネイチャー」は、日本の「自然」と、実は微妙にズレている。

日本語の「自然」は、もともと仏教用語。「じねん」と発音した。中国語で「おのずから」というような意味である。それがネイチャーの訳語に用いられ、天然自然の「自然」を意味するようになった。

英語の「ネイチャー」も、日本語の「自然」も、山や海、植物や動物を指す。

なんだ、同じじゃないか、という気がする。

 

「ネイチャー」は「カルチャー」の対義語ではない

でも、日本語の「自然」は、「人為」の反対の意味。人間のやることは自然でなく、人間をとりまく環境世界が自然である、と考えるのが日本人だ。

いっぽう「ネイチャー」は、山や海だけでなく、太陽や月や星といった天体も含む。それから、人体を含む。人間の身体は、Godが造ったものなので、どこからどこまで自然である。

そればかりではない。人間の生まれついての性質も、「ネイチャー」という。辞書をひくと、「本性(ほんせい)」と訳してあるが、神がそう造ったという点では、山や海と同じことなのだ。

農業は、ネイチャーなのか、カルチャーなのか。人間が土地を耕している。耕される土地も、耕す人間(の身体)も、それ自体はネイチャー(神のわざ)だ。

けれども、人間が意思して、ここを耕そうと思って耕しているのは、カルチャー(人のわざ)である。つまり、農業は、神のわざに助けられて、人のわざをそこに上書きする行為。神と人の共同作業だ。

ただのネイチャーでも、ただのカルチャーでもなく、両方が重なっている。人間のわざ(人為)だから自然でない、とは考えない。この点は、工業も同じである。

ヨーロッパ・キリスト教文明における「ネイチャー」と日本の「自然」はズレている、ということがわかったろうか。