ゲームのやりすぎは本当に「精神障害」なのだろうか?

eスポーツとカジノ解禁の時代に
美馬 達哉 プロフィール

ギャンブラーにインタビュー調査を行ったナターシャ・ダウ・シュール博士によれば、現代の常習的ギャンブラーのほとんどはジャックポット(大当たり)狙いではなく、長時間スロットで遊んで「ゾーン」体験を得ることを目的としているという(『デザインされたギャンブル依存症』青土社2018)。

ゾーンとは、リラックスしながらも没頭できる「超集中状態」として、アスリートが使い始めた用語だ。ギャンブラーの場合スロットマシンと一体化した体験を意味する。

ゾーン狙いのギャンブラーは長時間プレーが目標なので、大当たりしたときではなく、手持ち資金が底をついたときにギャンブルを中断する。また、ゾーンに入るためのリズムや流れを安定させるためオートプレイを好むこともある。

シュール博士によれば、大当たりボーナスでリズムが崩れるのに立腹したり、止めたいのに止められず「神様、この金を持っていってください。そうすれば立ち上がって家に帰れます」と心で祈ったりするギャンブル障害患者までいるという。

ギャンブル障害の人びとは一発逆転で大金を掴むのに必死というわけでもないのだ。

〔PHOTO〕iStock

人間とマシンの共生のためのレッスン

こうして実態を知ってみれば「ギャンブルのゲーム化」の中で、ギャンブル障害とゲーム障害は、快感回路の暴走というメカニズムが共通なだけでなく、人間がマシンと離れられなくなる点でも似通っているとわかる。それはSNSやネットへの依存とも共通する。

これは人間とマシンの「共依存」と言い換えてもいいだろう。

共依存とは、もともとアルコール依存症の男性とそのパートナーの間でのこじれた人間関係への囚われを指して使われたことばで、単純化して言うと、依存症者は暴力を振るいながらもパートナーに依存し、パートナーは「見捨てたら彼は死んでしまう」と語りつつ献身的であることに依存する状態だ。

人間がマシンに依存すると同時に、資本主義のもとでのマシン開発競争のなかではより長時間より高い強度で人間を誘引する(人間の快感回路に)献身的なマシンが次々とデザインされていく、その共依存スパイラルの一つがゲーム障害なのだろう。

 

こう考えれば、ゲーム依存症やゲーム障害という考え方そのものの問題点が見えてくる。

何かの問題を病気・障害として定義すること(「医療化」)は、社会的な文脈から人びとの目を逸らさせ、その問題の原因は個人の内部(ゲーマーの心理特性や脳画像や遺伝子)にあるとの先入観を植え付けてしまう。

だが実際には、人間とマシンの共依存としてのゲーム障害には、マシンそのもののハードとソフトの性質も重要な(したがって必要なら規制されるべき)要素となる。

ゲームとゲーム障害の問題は、人間とリアルタイムで複雑に相互作用するマシンと人間とがどう共生できるかのテストケースといえるだろう。

ゲーム障害への対策には、人間の依存症だけを見ていては不十分で、人間の快感に献身的(?)過ぎるマシンも視野に入れなければならない。

比喩的に言えば、当局による規制であれ自主ガイドラインであれ、マシンのほうにも人間とお付き合いしていく上でのルールやエチケットが求められている。

じつはゲーム障害が病気・障害と認定された現在、それは待ったなしだ。人間にゲーム障害という危害を与えるマシンを作る製造者は巨額の訴訟リスクにさらされている。