ゲームのやりすぎは本当に「精神障害」なのだろうか?

eスポーツとカジノ解禁の時代に
美馬 達哉 プロフィール

ギャンブル障害とゲーム障害

「依存症」というとまず思いつくのはアルコールや麻薬などの物質への依存だ。

これに対して、ゲーム障害はゲームをする行動への依存であって、行動依存とかプロセス依存とも呼ばれ、ゲームによって脳内の快感回路が暴走するのが原因と考えられている(参照「『ゲームを止められない』が今年から病気になる事情」)。

いまのところ、この行動依存のなかで病気・障害と認定されているのはギャンブル障害とゲーム障害の二つだ。

国際的基準によれば、ギャンブル障害は、次の3つの症状が個人・家族・社会・学業・仕事そのほかの重要な活動に支障がでるほど重症となって、しかも12ヵ月以上続いた場合に診断されるという。

1. ギャンブルをコントロールできない(TPOや時間や頻度など)。
2. 日常生活や他の興味よりもギャンブルを優先する。
3. マイナスの結果が生じていてもギャンブルを続けエスカレートさせる。

既読感があると思う。それも当然、これはゲーム障害の定義でのゲームをギャンブルと入れ替えただけなのだ。

つまり、脳内の快感回路の暴走から起きる以上、理論上はどんな「行動」に対しても行動依存という病気・障害になり得ることになる。

ゲームへの熱中が精神障害であれば、インターネット依存、セックス依存、恋愛依存、買い物依存など、すべてが精神障害となってもおかしくない。

ゲーム障害を病気・障害として認めるという決断は、ゲームだけに留まらず「何でも依存症」、「何でも精神障害」の社会への第一歩にもなり得る。

そんな未来社会が本当に望ましいのか、立ち止まって考えてみるべきではないか。

 

ギャンブルのゲーム化

もう一つ興味を引かれるのは、いまのところギャンブルとゲームだけが(行動)依存症に含まれている点だ。

これは、21世紀に入って加速する「ギャンブルのゲーム化」現象と切り離せない。

1990年代後半から、オーストラリアと米国では、カジノ企業がギャンブルという言葉の悪いイメージを嫌ってギャンブルをゲームの一種と再定義するようになった。

それは、収益拡大のために、一攫千金を狙う(男性)ギャンブラーだけではなく、少額で遊ぶ女性や高齢者をターゲットとするマーケティング戦略の一部だった。

ギャンブルの悪印象を減らす戦略は見事に当り、カジノへの課税収入を財源にしたい国や地方自治体による規制緩和の追い風にもなった。

その結果、オーストラリアや米国のカジノは、ディーラーがいてテーブルでカードやダイスを使ったライブゲームをする場所ではなく、レバーではなくボタンで操作するスロットマシンが並ぶゲームセンターのような場所へと変容した。

私にも、数年前にラスベガスのカジノを訪問したとき、高齢者で溢れるフロアのほとんどが一見パチスロのような機械で占拠されていて驚いた記憶がある。