ゲームのやりすぎは本当に「精神障害」なのだろうか?

eスポーツとカジノ解禁の時代に
美馬 達哉 プロフィール

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ここでゲーム障害と並べて考える必要があるのはeスポーツだ。

1990年代後半からゲーム企業主体でチャンピオンシップやトーナメントは行われていたが、2000年から韓国やドイツでそうした競技性の強いゲームを「eスポーツ」と呼ぶようになった。

さらに、ゲーマーの卓越したプレー技量を鑑賞する観客も生まれてきた。そうすると、イベント開催とネット配信からの収益や企業スポンサーからの契約料によって、プロのゲーマーが職業の一つとなった。

スポーツと同じようにeスポーツの協会ができて、ルールも整備され、制度化がすすみつつあるのが現状だ。市場規模は2017年で700億円以上、観客は3億人以上とされる(総務省『eスポーツ産業に関する調査研究報告』2018)。

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複数ゲーマーがチームとなってオンラインでバトルするもの(リーグオブレジェンド)、シューティングの腕を競うもの、対戦型の格闘ゲームなどが代表的なeスポーツだ。

ほぼ手先だけだが、身体的な努力によって運動スキルを向上させるのが目標であるのだから「スポーツ」だという。

ただし、PCゲームよりも家庭用ゲーム機が主流だった日本での認知度は低い。日本では高校のeスポーツ選手権やeスポーツ部ができて話題になる段階だが、英国ではすでに大学にeスポーツ学部も誕生している。

こうした事情はゲームへの熱中を障害や病気と診断する発想を根本から覆しかねない。つまり、ゲームが仕事になり得るのであれば、ゲームに熱中して他のことより優先するのは「逸脱」ではなく、仕事に頑張っている社会人のあるべき姿になってしまうからだ。

 

依存症のなかのゲーム障害

いっぽう、ゲーマー本人がどうにもゲームをやめられなくて困っているという条件のもとでは、病気や障害と医療専門家が名付けて診断することにプラス面も大きい。

なぜなら、病人・障害者と診断されることは、病気や障害になったのは不可抗力であって自己責任ではないと社会的に認められることにつながるからだ(責任免除)。
自己責任と言えば、麻生太郎財務相が「他人の医療費を、健康に努力している俺が払うのはあほらしい」と発言して問題となった。

これが「暴言」になるわけは、健康か病気かは自己責任ではないとの考え方のほうが当たり前だからだ。

さらにいえば、現代では病気や障害になった人たちを責めるのではなく、そうした人びとがふつうに暮らせるように支援し社会を変えていく(たとえば足の不自由な人のためにエレベーターを設置する)のが望ましいというコンセンサスがある。

ゲーム中毒で困っているゲーマーとしては、たんに意志薄弱な人ではなく、障害者と診断される方が自己責任を免除される分、自分の悩みと向かい合いやすくなるだろう。

また、親は、自分の育て方や教育の問題ではなくその子供個人の障害と診断されれば、子供や自分を責めなくてもよくなる。

だが、物事はそう単純ではない。

ゲーム障害を含む依存症は「否認の病」との別名もあるぐらいで、どんなに困っていても本人は病気とか障害という自覚を持つことがなかなか難しい。