日本の憲法学は本当に大丈夫か?韓国・徴用工判決から見えてきたこと

いま日本政府が追求すべきことは何か
篠田 英朗 プロフィール

大法院判決と国際法との関係

国際司法裁判所(ICJ)の判例があるため、韓国大法院の協定解釈は破綻している、という説も見られる。だが話はそこまで単純ではない。むしろ今回の元徴用工事件は、ある程度はICJ判例を研究したうえで行われているようにも見える。

前例となっているとされる2012年のICJ判例は、イタリア国民がイタリア国内裁判所において、ドイツに対する損害賠償請求を行った事件についてである。

このときICJは、イタリア国内司法における裁判権免除を主張するドイツの主張を全面的に認めた。ただし、注意すべきは、その理由が、国家免除(主権免除)に関する国際法にあったことである。

国連憲章にも定められている「主権平等」の原則、つまり主権国家はすべて平等であり、法の下で一方が他方に優越することはない、という理論により、主権国家は他の主権国家を国内法廷で裁くことができない。それが主権免除と呼ばれる国際法原則である(ただし不法行為が全て免責されるということではないので、実際には複雑な原則ではある)。

 

戦争犯罪をめぐる個人の責任と、国家の責任は、違う。

過去15年ほどの間に、セルビア大統領だったミロシェビッチやリベリア大統領だったチャールズ・テイラーが国際戦争犯罪法廷によって訴追されて逮捕された事例が生まれてきており、国家元首ですら戦争犯罪を問われて裁かれることがあるという理解が国際法で確立されてきている。

しかし国家それ自体は別である。国家それ自体の戦争犯罪という考え方は国際法では確立されておらず、全く別の形で不法行為の責任が問われるだけである。

個人と国家は違う存在であるため、前者が問われる罪を、後者は問われない、という考え方を理解すると、今回の元徴用工の訴えが、日本政府ではなく私企業に対するものであったことの意味がわかってくる。

おそらく原告は、請求権協定によって、日本政府への請求が不可能になっていることを、よく理解している。そこであえて、個人が、私企業を訴える形をとることによって、請求権協定の枠外と主張する請求権の確立を狙ったのだろう。

その戦略が奏功し、韓国大法院は、請求権協定の枠外の請求権だという論拠で、今回の決定を行ったわけである。

政府間協定の効力が、私人間の関係を自動的に無効化するわけではないことは、一般論としては妥当である。しかも三権分立の原則にのっとって行政府が司法府に命令を下せないことにも疑いの余地はないため、司法府が行政府とは異なる法理論にしたがって判断を下すことも、破綻した話ではない。

韓国大法院は、協定が前提としている法理論を否定すること――いわば請求権協定の違憲性の判断――もできた。しかし実際には伝統的な行政府の解釈をただ無視して、独自の解釈論を展開した。

韓国大法院は、請求権協定を否定していない。ただその適用範囲に関する新しい考え方を補強した。

国際法の判例集などには出てくる「光華寮事件」という有名な日本国内の判例を参照してみよう。

これは中華民国が留学生のために購入した宿舎の使用をめぐって起こした民事訴訟の判例である。訴訟中の1972年に、日本政府が日中共同声明を通じて中国政府の承認の切り替えを行ったため、中華民国(台湾)の当事者能力が争点になった。

日本の裁判所は、「中華人民共和国が中国の唯一の合法政府であることを承認」した日本政府の立場を尊重しつつも、中華民国にも一定の実体があるため、民事訴訟における訴訟当事者能力は認める、という判断を行った。

政府間関係の理解の枠外で、民事訴訟の私人・非国家組織の関係がありうることを、日本の司法府が独自に判断したわけである。

国際法は、これを許容する。国際法は、一方的に国内法に対する優越を唱えて国内法を否定して見せる法体系ではない。むしろ国際法規範と国内法規範は併存しうる、と考えるのが、普通の国際法的な考え方である。いわゆる二元論的な「等位理論」である。国際法と国内法は、常に完全に一元的に一致するわけではないが、それは単に両者が異なる法体系だからだ、と認めるのが、「等位理論」的な考え方である。

国際法と国内法は、一致しないまま併存するがゆえに、調和を求める。しかし、時に逆に矛盾を抱え込み、義務の衝突をもたらすこともある。そこで必要になるのは「調整」である。「等位」理論は、必然的に「調整」理論のこととなる。

現在、日本政府が韓国政府に求めているのは、この意味での「調整」であると言えるだろう。

国際法を通じて韓国と接する日本政府は、したがって韓国行政府をただ責め立てるのではなく、その「調整」努力を支援し、促進していくべきである。

つまり韓国の国内法廷で私企業に負わされた責任は、国際協定の趣旨からすれば韓国政府が対応すべきものであり、それにしたがって韓国政府が財政措置や立法措置をとることを期待しなければならない。