雑誌『雄弁』創刊のウラには野間清治の「大失敗」があった

大衆は神である(25)
魚住 昭 プロフィール

その頃、兜町の鎧橋の傍にヤマグリ(山の形の下に栗の字)という可なり大きい(「米」や「株」の)仲買店があった。幸い理学士の友人がそこに勤めているので、明治四十二年の暑中休みに、私はこのヤマグリの二階の一つの椅子に陣取って、恰も三軍を叱咤する大将軍のような形をして、「何枚買った」とか「何枚売った」とか、命令を発するのであった。偉そうなことをいうが、そう金のあろう道理はない。十枚か、せいぜい二十枚という僅かなものであったが、そのことが、非常に男性的なように考えられて、友達などに吹聴しはじめた。

「金を掴まんとするならば彼処(あそこ)にかぎる。智慧と勇気さえあったら、一獲千金の場所は、天下ただ彼処あるのみだ」と。(略)この時分は全く買った売ったの黄白戦(金銭をめぐる戦い)に目がくらんで、どんどん相場の道に嵌り込んで行ったのであります〉

まぐれで一日に100円とか150円儲けたときは、まるで鬼の首でもとったような思いで、もう歩いて帰る気などになれない。人力車を飛ばして意気揚々、電車の乗客、道を歩む人などを憐れむように眺めくだし、いろんな土産物を買い込んでわが家に戻った。

 

「清治、恥を知れ!」

左衛は「こんなことをしていたら、また借金苦に悩むことになる」と言った。しかし、清治は「女子供の知ったことではない」と聴く耳を持たない。左衛が「恒がかわいそうです」と訴えると、「俺も恒がかわいそうと思えばこそ、この道に手を染めたのだ」と言い返した。

夏休みが終わっても清治の相場熱は冷めなかった。清治は勤務中に、帝大の合同事務室の電話を使って仲買店に「売った」「買った」の指示をだすようになった。

友人たちは清治の身を案じて「相場から手を引け」と忠告してくれた。が、それにも耳を貸さず、彼らは頭が悪いのだとしか思わなかった。朝から晩まで大言壮語を連発し、「もっと僕を尊敬したまえ」などと威張っていた。

ところが、その直後、清治は「全く身分不相応な恐ろしい失敗をしてしまった」(『私の半生』)。失敗の中身は具体的に記されていないが、当時、ほかにも大失敗した者が続出したそうだから、同年秋に起きた米価の暴落で大損をし、多額の借金を抱え込んだのだろう。

当時の心境を清治は次のように語っている。

〈私は、今度の失敗によって、いろいろ考えさせられ、反省させられ、私の心は強く鞭うたれ、痛罵されるのであった。

「お前のこの頃の為体(ていたらく)はどうしたことか。(略)お前の父も母も、弟も妹も、お前をそんなものにしようとして苦労したのではない。(略)母は針仕事、妹は賃機(ちんばた、機を織って賃金を得ること)、苦しみ苦しんで、お前に学問させたのは、先祖伝来のよき血によって、出来得る限り国と人とのために尽させようとしてのことだ。少年時代における、あの弓の賭け事の訓戒を忘れたか。あれよりも、『米』や『株』はもっともっと甚だしい悪事とは気がつかぬか」

「清治、恥を知れ!」鞭はいよいよ痛烈さを加えて行く〉

清治が『雄弁』創刊に向けて動き出すのは、この「大失敗の苦悩」のさなかである。

(つづく)