「喜劇役者」の裏に隠された、俳優・ムロツヨシの壮絶なる生い立ち

笑顔だけが生きる知恵だった
週刊現代 プロフィール

魚市場で働く日々

ムロは入学から3週間で大学に退学届を出した。
けっして裕福ではない家庭環境のなかで大学まで進んだ孫が役者を目指すと聞いて、祖母は「郵便局員になってほしかった」と涙を流した。

大学を辞めて養成所に通った後、いくつものオーディションを受けるが、箸にも棒にもかからなかった。20歳から3年間は横浜市中央卸売市場の鮮魚店のバイトに明け暮れた。店の代表・藤本圭子氏は本誌にこう語る。

「時給は1000円ほど。早朝4時から昼12時ごろまでの勤務です。彼はマジメで、マグロの運搬などキツイ作業でも一生懸命でした。2年くらいはほとんど毎日、ここで働いていました。

そんななかでも当時から一人芝居を自分で企画して公演していました。舞台機材をウチのトラックで運んで搬入をみんなで手伝ったりしましたね」

'99年1月、23歳のムロは一人芝居『ある一人の青年』を公演する。200人足らずの客席は満員になった。

「ただし、お客さんは全員がムロさんの関係者でした。しかも、喜劇にもかかわらず、客席から笑いは一切起きなかったそうです」(舞台関係者)

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さらに自ら劇団を立ち上げたが、周囲との温度差から、追い出されてしまう。当時を知る鮮魚店の元同僚である角田文雄さんが言う。

「ウチを辞めてからも7~8年は事務所にも所属できていなかった。でも昔の仲間は『みんなで応援してあげよう』とチケットを捌いたりしていました。

ムロは普段もあのまんま。昔から喋りは上手かった。だから誰からも好かれた。とにかく手伝ってあげようと思わせるほど、いいヤツですよ」

 

ムロが鮮魚の配達をしていたことで知り合った天ぷら屋店主・塙美快さんはこんな思い出を語る。

「痩せていた彼を見兼ねて、店に来ると天ぷらと赤飯を持たせてやったよ。俺が『将来は何になりたいんだ』と聞いたら『芸能人になりたい』と言うわけよ。

それで俺は『芸能人なんて水物だから、一生食ってくのは難しい』と来るたびに言った。彼は素直に聞いていたけど、悔しかったと思うよ」

売れっ子になったムロから塙さんは手紙をもらったという。
「内容は『20年間、その言葉をバネにして頑張ってきた』って。凄く嬉しかったね」(塙さん)

29歳で映画デビューを果たす。そして35歳のときに福田雄一監督に抜擢されて、ドラマ『勇者ヨシヒコ』(テレビ東京)にレギュラー出演。現在のブレイクの足がかりを摑んだ。

ムロツヨシを名乗ってから、15年以上が経って、トンネルの先にようやく光が見えた。

発売中の週刊現代では、絶縁状態だった父への思い、駆け出しの頃の思い出、さらに成功の理由について詳述している。

「週刊現代」2018年11月17日号より

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