安田純平氏へのバッシング、いちジャーナリストとして思うこと

過去の仕事を調べてみた
安田 峰俊 プロフィール

安田純平氏の記事の中身

次に安田氏の具体的な記事を見ていこう。安田氏の寄稿先は、はっきり言って左派やリベラル系の媒体が多い。主著の『ルポ 戦場出稼ぎ労働者』を出した集英社新書も、比較的、左派系のラインナップが多い新書レーベルだ。だが、媒体の政治的なポジションはさておき、実際の安田氏の原稿は例えば下記のような感じである。

“アクードさんもシーア派だが、フセインを強く支持していたようだ。「サダムが大勢のイラク人を殺したと米国は言うが、どこからか死体を運んできて、サダムが殺した、と写真を撮っているだけだ。遺族を名乗る人にも金を与えて泣かせ、撮影しているのだ」という主張は妄信的にも聞こえる。(略)”

“なぜ彼らがそこまでフセインを支持するのかは判然としなかったが、米軍への憎しみが募れば募るほど、こうした感情が膨らんでいく面はあるだろう。しかし、こうした感情が高まるほど、米軍は疑いを持ち、抑えつけようと躍起になっていく。各地で米兵襲撃が頻発していくにつれて、恐怖にかられた米兵はちょっとしたきっかけで引き金を引くようになり、新たな憎しみを生み出していく”

“(米軍に銃撃されて連れて行かれた10代の少年のうち)重症を負った少年の母親は、涙をぽろぽろとこぼしながら「息子に会いたい。いったいどこにいるのか知りたい。無事でいるのかどうか心配で仕方がない」と声をしぼり出すように言った。その晩、一帯の民家から銃を押収していった米軍は、その後もやってくることがあるが、少年たちの消息をたずねても「知らない」と突き放されるだけだという”
(04年1月付け『世界』722号「イラク再訪 米軍襲撃者捜索の続く街で」)

一見してわかるように、当事者への地道な取材がなされており、もちろん文章も商業レベルに達している。元新聞記者であるせいか文体がやや堅苦しく、前のめりで遊びがない感じもするのだが、例えば憲法9条の擁護やアベ政治批判といった「サヨクくさい」主張を前面に出して押し付けてくるような臭みはない。

『週刊金曜日』に寄稿された安田氏の原稿。記事分量いっぱいを使って現地事情を伝えており、息苦しくなるほど情報の密度が濃い。(『週刊金曜日』2014年7月18日号より)
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もちろん、安田氏とて本人の思想信条と寄稿先媒体の「色」とは多少の親和性があることだろう(余談ながら私の寄稿が最も多いのは『SAPIO』と『週刊プレイボーイ』だ)。また対談記事や著書の一部分などでは、集団的自衛権の行使に懸念を示すような政治的な発言も多少はある。

ただ、仕事のコアである戦地の描写において、彼は個人の思想信条の表明を抑制して事実を伝える姿勢を取っている(これは11月2日におこなわれた本人の記者会見の中継を見ていても確認できた)。

米軍の駐留や自衛隊のイラク派遣の現状がこれでよいのか、シリア内戦をこのまま放置してよいのか、自分の見聞をそのまま提示して結論を読み手に考えさせるスタンスは、ジャーナリズムとしてまっとうなものだ。

なお私の経験上、中国の新疆ウイグル自治区やチベット人の居住地域に行くと中国政府に心の底から憤りを覚えるようになる。これと同様に、中東にディープに入り込んだ人が、現在の混乱の原因を作ったアメリカや19世紀以来の欧米中心主義に反感を覚えることも、人間の心の働きとして妥当なものであろうかと思う。

 

ナンセンスなこと

他にもネットでは安田氏に大量の批判が噴出している。いわく「身代金がテロリストの資金源になった」「救援に税金がかかった」といった批判だ。だが、これらもどうやらナンセンスである。

まず、テロリストは日本人がダメならば他国の人をさらって身代金商売をするだけであり、それならカネを払ってでも人命が助かったほうがいいという考えがある。だが、そもそもの話として、今回の安田氏については身代金が払われたか否かも不明だ。

少なくとも日本の税金が身代金に投入された可能性はかなり薄い。欧州諸国では政府が身代金を払ったり、アメとムチとあらゆるコネを通じて海千山千の交渉をおこなう国もあるのだが、日本政府はいずれも極めて消極的なことで有名なのだ。

ちなみに安田氏の04年のイラクでの拘束については、釈放にあたり外務省の関与はほぼゼロで、カネも動いていない。加えて言えば同年、先立って別の武装勢力に拘束されていた人質3人(活動家2人とフォトジャーナリスト1人)についても、身代金は一銭も払われておらず、帰国の航空券の費用も自己負担だったことが判明している。

今回、安田氏に対して明確に使われた「日本の税金」は、主に外務省職員の対応費用だろう。だが、そもそも自国民保護は国家の義務だ。そして「国家」という存在は、私たち国民の財産を収奪(徴税)する代わりに、公務員を通じて等しく公共サービスを提供する役割を持つ機関である。

そして日本国家の公共サービスは、仮に当人が「反日」的なイデオロギーの持ち主だろうと、事前に救援を拒否していようと、本人の納税額と提供するサービスのコストがまったく不釣り合いだろうと、そうした個別の事情とは関係なく国民全員に平等かつ機械的に提供されるシステムとなっている。